大和本草卷之十四 水蟲 介類 貝子(タカラガイ)
貝子 其大サ大拇指ノ如ク長サ一寸ハカリ白キ小貝ナリ
腹兩方に開キテ相向フ處齒ノ如シ熊野浦ニアリ本草
ニノセタリ説文曰古者貨貝至秦癈貝行錢。
○やぶちゃんの書き下し文
貝子(たからがい) 其の大いさ、大拇指〔(だいぼし)〕のごとく、長さ一寸ばかり、白き小貝なり。腹、兩方に開きて相ひ向ふ處、齒のごとし。熊野浦にあり。「本草」にのせたり。「設文」に曰く、『古〔いにし〕への貨貝。秦に至りて貝を癈して錢を行ふ』と。
[やぶちゃん注:腹足綱直腹足亜綱 Apogastropoda 下綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目タマキビ下目タカラガイ超科タカラガイ科 Cypraeidae に属するタカラガイ類の総称。
「大拇指」親指。
「一寸」三・〇三センチメートル。タカラガイの小型種では長軸が五ミリメートルほどのものもあるが、本邦で貝細工として最も見かけることの多いタカラガイ属ホシダカラ Cypraea tigr などの大型種の成体個体のそれは標準で十一センチメートルほどで、時には十五センチメートルを超えるものもある。
「白き小貝」やや気になる。全くの白色のタカラガイというのは実はあまりない。敢えていうならタカラガイ上科ウミウサギガイ科ウミウサギ属マメウサギ Calpurnus ( Procalpurnus ) lacteus 辺りであるが、ウミウサギ類は殻口縁(歯)が刻まれなかったり、刻まれても外唇(底部正面向かって右側)のみで、しかも殻口がタカラガイのように中央位置ではなく外唇側、右に著しく偏って開口する点で、少なくとも本種と合致しない(成長過程の子貝の可能性はあるか)。私が最初に考えた同定候補は大きさと見た目の白さという点、私も本州中部以南のいろいろな所で採取したことがある馴染みという体験からタカラガイ科コモンダカラ亜科 Erosariini 族キイロダカラ Monetaria moneta であったが、もしこれだとすると、殻表にある特有の瘤や背面にある灰黒色の三本の横帯模様が記されて然るべきとは思うのである(但し、益軒は実際の貝殻標本を見ていない可能性も高い)。
「説文」後漢の許慎作の最古の部首別漢字字典「説文解字」。
「古への貨貝。秦に至りて貝を癈して錢を行ふ」ウィキの「タカラガイ」には、『キイロダカラなどの貝殻は、アフリカ諸国では何世紀にも渡って貨幣(貝貨)として用いられてきた。特に西欧諸国による奴隷貿易に伴い、モルディブ諸島近海で採集された大量のタカラガイがアフリカに持ち込まれた』。『現在のガーナの通貨であるセディ(cedi)は、現地の言葉(Akan)でタカラガイ(の貝殻)を意味する。最古の貝貨は中国殷王朝時代のもので、タカラガイの貝殻やそれを模したものが貨幣として使われていた』。『国内の通貨としてのみならず、タカラガイはインドとの交易にも利用された。漢字の「貝」はタカラガイに由来する象形文字であり、金銭に関係する漢字の多くは部首として貝部を伴う』とある。但し、『古代中国のタカラガイは貨幣ではなく、相手の繁栄を願って遣り取りされた宗教的な意味での贈与物であったとする異説もある』という附記もあるので注意されたい。以下、非常に興味深く、コンパクトながら勘所を摑んだ記載なので、最後まで「利用」の部を引用しておく。『北アメリカのインディアンの部族であるオジブワ族は、タカラガイの貝殻を "Megis Shells" もしくは "whiteshell" と呼んで神聖なものとみなし、ミデウィウィン(Midewiwin)という部族組織の儀式で用いていた。カナダマニトバ州にあるホワイトシェル州立公園(Whiteshell Provincial Park)はこの whiteshell にちなんで名付けられている。しかしタカラガイの産地から遠く離れているオジブワ族が、どうやってタカラガイを得ていたのかという点については議論がある。口伝や同族の巻物(Wiigwaasabak)によれば、地中から掘り出されたり湖や川の辺に打ち上げられたものであるという。このように産地から離れた場所で貝殻が発見されることは、その土地の先住民族が非常な広域に渡る交易網を持っており、貝殻を得て利用していたことを示唆している。ホワイトシェル州立公園の岩盤面に残された居住痕はおよそ8000年前のものと言われている。この土地でどれくらいの間、タカラガイが使われていたのかは定かでない』。『タカラガイの貝殻はまた女性、繁栄、生誕、富などの象徴とされ、装身具やお守りとして身に着けられる』。『こうしたタカラガイに対するシンボリズムは、貝殻の形状が妊婦の腹のようであることや、下面から見ると女性器や目を連想させることに由来している』。『フィジー諸島では、ナンヨウダカラの貝殻に穴を開けて紐を通し、首長・族長はこれを身分証として首から提げた』。『単に貝殻の形状を利用する例として、ボードゲームや占いにおいてサイコロのような使われ方をする場合もある。複数個の貝殻を投げ、開口部が上を向いたものの数を乱数として利用する。またホシダカラのような大型のタカラガイの貝殻は、近代までヨーロッパにおいて靴下のかかとを修繕する際の内枠として使われていた。タカラガイの滑らかな表面が、布地の下に置いて針を通す位置を決めるのに都合が良かったとされる』。『日本でも、縄文時代の遺跡から装身具として用いられたものが出土している。また、沖縄諸島の祝女が首にかけて宗教的な意味を持つ呪物として用いたほか、『竹取物語』にも珍宝「燕の子安貝」として登場している』。『タカラガイの貝殻は何層にも重ねられた殻層によってその種に特有の色彩や斑紋が現れるため、海岸に打ち上げられて摩滅したり塩酸で処理された貝殻では、下の色層が露出して全く別の種に見える場合がある。これを利用して成長の過程を観察したり、様々な深さに殻表を彫ることで色調を変えたカメオのような装飾品とすることもある』。『キイロタカラガイを加工して、特に黄色は好運、幸福を意味するとして、お守りとして沖縄県で、販売されている』。なお、私のような貝類コレクター(今は多くを教え子にあげてしまい、殆んど所持していないが)では、タカラガイだけをコレクションする人もいるほど、人気の貝である。]
« 飯田蛇笏 山響集 昭和十二(一九三七)年 冬 Ⅳ 季節の窓 | トップページ | 北條九代記 卷第六 武藏守泰時執権 付 二位禪尼三浦義村を諫めらる〈北条泰時の第三代執権就任及び伊賀氏の変Ⅰ 北条泰時の帰鎌と北条政子の英断と大江広元の懇請、鎌倉の不穏と謀略の真相〉 »