飯田蛇笏 山響集 昭和十二(一九三七)年 冬 Ⅳ 季節の窓
季節の窓
田盧和樂圖
ひめむかふわうじに蚊帳の靑がすみ
[やぶちゃん注:「田廬」は「デンロ」と音読みしていようが、これは「たぶせ」(田伏せ)のことで、田の傍らに設けた見張り番の番小屋のことをいう。in*ok*5*0氏の「句集『山響集』(21)(飯田蛇笏全句集より)昭和十二年年(18)冬(10)」に角川書店発行の新編「飯田蛇笏全句集」よりとして、
ひめむかふ王子に蚊帳のあをがすみ
とあるから、この「ひめむかふわうじに」は「姫迎ふ皇子(又は王子)に」であろう。前書は如何にも何かの画題と思しいが、今一つ、句柄のシチュエーションを私は想起出来ない。古代万葉の時代詠なのか、それとも自身と妻を擬えたものか。識者の御教授を乞うものではある。]
苑囿花卉
聖鐘に休息(やすらひ)の窓茄子咲けり
[やぶちゃん注:「苑囿」は「ゑんいう(えんゆう)」と読む。園囿。「囿」は鳥獣を放し飼いにする所の意で、草木を植えて鳥や獣を飼っている所。これもロケーションが特定出来ない。]
柳絮追ふ家禽に穹は夕燒けぬ
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「柳絮」は「りうじよ(りゅうじょ)」と読み、白い綿毛のついた柳の種のこと。また、それが春に飛び漂うことをいう。春の季語。「穹」は「そら」と読む。]
家畜倦み山風なごむ韮畠
鐵扉透く樹々黝(あをぐろ)く夏の花卉
蘭を愛で薄暑の葉卷くゆらする
草にねて山羊紙喰めり紅蜀葵
[やぶちゃん注:「紅蜀葵」は「こうしよくき(こうしょっき)」と読み、アオイ目アオイ科フヨウ属モミジアオイ Hibiscus coccineus の別名。ウィキの「モミジアオイ」によれば、北米原産で、背丈は一・五~二メートルほどになり、ハイビスカス(日本ではこのフヨウ属
Hibiscus の熱帯性・亜熱帯性の幾つかの種が特に「ハイビスカス」と呼ばれて南国のイメージを持った植物として広く親しまれているが、ご覧の通り、フヨウ属
Hibiscus の属名が「ハイビスカス」の語源である。ウィキの「ハイビスカス」の注に、このフヨウ属の属名 Hibiscus については、『hibiscum (ヒビスクム)または hibiscus (ヒビスクス)は古いラテン語で、タチアオイの仲間を指す言葉であった』が、近代に入ってアオイ科ビロードアオイ属タチアオイ
Althaea rosea 『と同じアオイ科に属する別の仲間』である『フヨウ属を指す学名へと転用された』とある)のような花を夏に咲かせる。茎はほぼ直立し、触ると白い粉がつく。木の様に硬い。同じ科のフヨウ
Hibiscus mutabilis に似るが、花弁が離れている点が異なる。和名のモミジアオイは、葉がモミジのような形であることによる。花をイメージ出来ない方はグーグル画像検索「モミジアオイ」を参照されたい。]
山梔子の花咲き閨の月羸(や)せぬ
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「山梔子」は「くちなし」と読み、リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科クチナシ連クチナシ
Gardenia jasminoides のこと。]
凶土哀曲
夜陰より癩者(かつたい)も出て雨祈る
[やぶちゃん注:「凶土」とは元来は中国で征服者に恭順しない民や地方のことをいうが、ここは現に恐るべき旱魃に襲われているところの、蛇笏の棲める甲府の地方を指していよう。「癩者(かつたい)」ハンセン病患者の古称。差別用語で現在は使用すべきではない。ウィキの「かったい」によれば、『ハンセン病に感染し、明らかにそれとわかる「らい腫」(らい結節)が現れ、あるいは末梢神経の知覚異常によって外傷を避けられず繰り返し受け、その瘢痕によって健康な頃に比べて風貌が著しく変わってしまった人を呼んだ、古典的呼称である。明治期になり、政府が法令によって隔離政策をとるようになると、漢語由来の医学用語としての「癩病」が普及するようになるが、戦後まで「かったい」が用いられていた地方もあ』った(鎌倉時代、忍性はハンセン病患者を中心にした救済活動に従事したが、彼が住持であった鎌倉の極楽寺は永く「かったいぼ寺」と呼称され、私も小さな時分、その呼称を大人たちの会話の中で耳にしている)。『この病気は感染症ではあるが、感染から発症までに数十年かかったり、一生キャリア(保菌者)として発病しない人もある。また感染力も低く病気の致死性もほとんどないものの、身体の外見上の変形を伴う重い後遺症を残すため、何かと特別視されることの多い疾患であった。そのため江戸時代以前の伝統社会では、一般の感染症のように「はやり病」の概念ではとらえられず、仏教がインド思想から日本に持ち込んだ六道輪廻説、あるいは日本古来の穢れ思想などの影響から、業病、つまり前世における悪業の報いでなるとする考えが、社会通念化していた』。『江戸いろはがるたの「か」は、「かったいのかさうらみ」で、これは齋藤孝『声に出して読みたい日本語』にも載っている(ただしこの項目だけ解説なし)が、意味は、鼻が曲がり、目も潰れてしまった重症のハンセン病患者は、健康な人よりも、むしろ鼻がかけたくらいですんでいる梅毒の患者のほうを、より恨めしく、あるいはねたましく思うという意味である』とある。]
田子の膳社日の德利たちにけり
[やぶちゃん注:「田子」は「たご」で田を耕す農夫のこと。「社日」は「しやにち(しゃにち)」で雑節の一つ。産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日のこと。ウィキの「社日」によれば、春と秋にあり、春のものを春社(しゅんしゃ/はるしゃ)、秋のものを秋社(しゅうしゃ/あきしゃ)ともいう。『社日は古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する』。『春分または秋分に最も近い戊(つちのえ)の日が社日となる』。但し、『戊と戊のちょうど中間に春分日・秋分日が来る場合(つまり春分日・秋分日が癸(みずのと)の日となる場合)は、春分・秋分の瞬間が午前中ならば前の戊の日、午後ならば後の戊の日とする。またこのような場合は前の戊の日とする決め方もある』。『この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝する。また、春の社日に酒を呑むと耳が良くなるという風習があり、これを治聾酒(じろうしゅ)という。島根県安来市社日町などが地名として残っている』。本句に「德利」が出るのもこの治聾酒に関わる。]
早乙女の小鈴を鳴らす財布かな
耕耘に曇るつゆ草瑠璃褪せず
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「耕耘」は「こううん」、耕運機のそれで、「耘」は草を刈る意。田畑を耕して雑草を取り去ること(転じて、広く、耕して作物を作ること全般を言うようになった)。]
蠅とびて笹葬ひの枕經
[やぶちゃん注:「笹葬ひ」は「ささとむらひ」と読むのであろうが、不詳。これは酒の女房詞の「笹」で、酒を酌み交わす弔問の謂いか。識者の御教授を乞うものである。「枕經」は「まくらきやう/ぎやう(まくらきょう/ぎょう)」で、本来は臨終に近い人に不安にならぬように案内(あない)として枕元で死を看取りつつ、経をあげることを言う。近現代では死後最初に行われる仏事として死者に初めて経を聞かせる儀式となっている。]
麥秋の米櫃におく佛の燈
水陸輪奐
爬蟲らに嶽麓の花つゆむすぶ
[やぶちゃん注:「輪奐」は「りんくわん(りんかん)」と読み、「輪」は高大、「奐」は大きく盛んな意で、一般には建築物などが広大で立派なことをいう語。但し、ここは「嶽麓」(がくろく)とあるから、峨々たる高山の川も含めた麓からの広角の全景の形容であろうかと思われる。]
船旅の灯に聖母像と濃紫陽花
[やぶちゃん注:中七の読みが不審で調べると、jin*ok*5*0氏のブログ「日々の気持ちを短歌に」の「句集『山響集』(23)(飯田蛇笏全句集より)昭和十二年(二十)冬(十二)」に角川書店発行新編「飯田蛇笏全句集」を底本とした本句が載り、そこには、
船旅の燈にマドンナと濃紫陽花
とある。しかしルビなしで「聖母像」をマドンナと読めというのは少し無理があるように思われる。]
水浴に綠光さしぬふくらはぎ
種痘針きみこまかなる娘をさしぬ
綾羅着て隱亡の娘が出かけけり
[やぶちゃん注:「綾羅」は「りようら(りょうら)」綾絹と薄絹。転じて美しい衣裳の意。「隱亡」戦後まで火葬場において死者を荼毘に付し、遺骨にする仕事に従事する作業をなす人を指した差別語。「隠坊」「御坊」とも表記し、地域によっては「オンボ」とも呼称した。参照したウィキの「隠亡」によれば、『一昔前は、この職業は現在で言う被差別部落出身者が大半だったため、軽蔑的に用いられることも多く、現在は差別用語とされ用いられなくなっている。一般には、『斎場職員』もしくは『火夫(かふ)』と呼ばれている』。『中世から江戸時代までは、えた(穢多)やひにん(非人)とはまた違った賤民階級で、寺院や神社において、周辺部の清掃や、墓地の管理、とくに持ち込まれる死体の処理などに従事する下男とされていた』とある。本句も確信犯で「隱亡」に差別的視野が働いており、一読、厭な感じの句である。]
胡弓とる牧婦火に寄る梅雨入かな
[やぶちゃん注:「梅雨入」は「ついり」と読む。]
近山に奥嶺は梅雨の月盈ちぬ
[やぶちゃん注:「近山(ちかやま)に奥嶺(おくね)は梅雨(つゆ)の月(つき)盈(み)ちぬ」と読むか。]
莨すふ燐寸の火おもき白蚊帳
大串に山女魚(やまめ)のしづくなほ滴るゝ
山廬立夏
三日月に淸宵の鷺巣ごもりぬ
[やぶちゃん注:昭和一二(一九三七)年の立夏は五月六日であった。老婆心乍ら、「淸宵」は「せいせう(せいしょう)」で、夜気のさわやかな宵(よい)を指す。]