羽蟲の羽 萩原朔太郎 (短歌三十三首)
[やぶちゃん注:以下は底本全集第二巻「習作集第八卷(哀憐詩篇ノート)」に所収する短歌群の一つ、「羽蟲の羽」歌群。最後のクレジットによれば大正二(一九一三)年四月の作である。圏点「ヽ」(各首頭部)及び「○」(各首下)は、編者注に従って推定復元したものである(特に「○」の位置は「下」とのみあるので不確かである)。]
羽蟲の羽
街の葉ざくら作
ヽおしなべて羽蟲の羽(はね)のさも白く
ひかるをみれば夏は來にけり
花がたみ艶(あで)なるひとを我が待てば
遠里小野に月のぼるなり
足の爪すこしぬらして宵每の
濱邊づたひを好む君かな
ヽうち出でゝ濱邊にたてば月見草
月■かたむきてにほふなりけり
[やぶちゃん注:「■」は判読不能字の抹消を示す。]
ヽなわすれそ勿忘草の花つみに
來よと言ひなばおどろきて來む
たれこめて物や思へとわがために
雨ふりぐさの花咲きにけむ
ヽいかにせんならんろべりや吹くときくだにも
泣かまくほしくもの思ふ身は
[やぶちゃん注:「ろべりや」既注であるが、再掲する。キキョウ目キキョウ科ミゾカクシ(溝隠)属 Lobelia のロベリア・エリヌス Lobelia erinus 、和名ルリチョウソウ(瑠璃蝶草)及びその園芸品種をいう。南アフリカ原産の秋播きの一年草で、高さ二十センチメートルほどでマウンド状に広がる。四月から七月頃に青紫色の美しい花を咲かせ、花色は赤紫色やピンク・白色などがある(「weblio辞書」の「植物図鑑」にある「ロベリア・エリヌス(瑠璃蝶草)」に拠った。画像はグーグル画像検索「Lobelia erinus」も参照されたい)。]
春日野の若菜いろぐさおきなぐさ
けふわが來れば下萌えにけり
さくらの實(み)さくらばなよりほの紅き
そのくちびるをさしあてたまふ
ひとはいさ知るや知らめやみぢか夜の
月の出窓にくちづけしこと
[やぶちゃん注:「みぢか夜」はママ。次の一首も同じ。]
ひとはいさ知るや知らめやみぢか夜の
月の出窓にくちづけしこと
ヽかくとだにえやは言へざるさりげなく
夏來にけるとつげやりしかな
おしめども散りゆくものを花びらを
くちにふくみて物おもふかな
[やぶちゃん注:「おしめども」はママ。]
うたかたの水の流れとさくらばな
かひなきものは我身なりけり
かくとだにえやは言えざる女氣に
夏くるとのみつげやりしかな
[やぶちゃん注:「言えざる」はママ。]
しめやかに舗石みちを步むとき
さつきながあめふりそめにけり
電車みちよこぎりしとき靴さきを
ぬらして過ぎし夏の雨かな
夏若葉つばめ飛び行き飛び來り
めぢのかぎりを人あゆむなり
辻待ちの俥のほろも葉柳の
しつくに濡れて嘆く夜かな
たそがれてゆくゑもしらに氣車みちの
堤(つゞみ)のうへをたどるなりけり
[やぶちゃん注:「ゆくゑ」はママ。
「堤」のルビ「つゞみ」はママ。]
磯打浪(いそつなみ)小磯が濱の貝がらの
かひなく濡れて物思ふころ
うれしきはその紅貝(べにがひ)のふたつみつ
袂のすみにちゝと鳴ること
[やぶちゃん注:個人的に好きな一首である。]
ヽつばくらめきのふかへりてかくばかり
うれしきことを告げにけらしな
あすかやま年つきへても忘れねば
いまは牡丹の花つみにけり ○
[やぶちゃん注:「いまは」は原本では「いはま」。意味が通じないので校訂本文を採用した。]
憂きことはさらになけれど紅爪(べにづめ)を
かめばあやふく涙するかな
かぶと蟲黑くひかりて音もなく
くぬぎ林になげくなりけり ○
さくらさくらさくらちりかひみちもせに
とりどりなれや春ゆかんとす ○
はらはらと柳ちりかひ忘れじの
そのひとことはあかくにほひぬ
きのふといひ、けふといひ
あゝせんかたもなき日頃かな
あさましき我がおこなひもいかばかり
草もえ出でゝかなしかるらむ ○
とりつめし心ばかりは哀しけれ
玉菜は梅雨(つゆ)にぬれてひかれど
ながらへてまたこの頃は若葉する
木立の中を步むなりけり
見せばやなうすみどりせるそうぞくの
ひとにつまれしゆすらごのはな
[やぶちゃん注:「そうぞく」(「裝束」)はママ。「ゆすらご」はサクランボに似た赤い小さな実をつけるバラ目バラ科サクラ属ユスラウメ
Prunus tomentosa の俗名。漢字表記では「梅桃」「山桜桃梅」。ウィキの「ユスラウメ」には『現在では『サクラ』を意味する漢字『櫻』は元々はユスラウメを指す字であった。ユスラウメの実が実っている様子を首飾りを付けた女性に見立てて出来た字である』とある。知らなかった(グーグル画像検索「ユスラウメの花」)。]
やわらかにきみがおゆびをくちびるに
ふくみて居れば花散りにけり
[やぶちゃん注:「やわらかに」はママ。]
いつの日かその石段に立ちしとき
ぎんなんの實の落ちてきたりき
(一九一三、四、)
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