今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 67 小松 しほらしき名や小松吹く萩すゝき
本日二〇一四年九月 八日(陰暦では二〇一四年八月十五日)
元禄二年七月二十五日
はグレゴリオ暦では
一六八九年九月 八日
である。【その二】この日、芭蕉は日枝神社神主藤村伊豆(俳号鼓蟾(こせん))の屋敷で、以下を発句とする世吉(よよし:百韻の初折と名残の折とを組み合わせた四十四句で満尾する古形の連歌由来の連句形式。山本健吉氏によれば、この亭主鼓蟾が連歌畑の俳人であったことを考慮したものとある。)一巻を巻いている。
小松と云所にて
しほらしき名や小松吹(ふく)萩すゝき
[やぶちゃん注:「奥の細道」。以下に見るように、ここは珍しく本文も以上の前書と句のみである。「曾良俳諧書留」では、
七月廿五日 小松山王會
しほらしき名や小松吹萩薄
と載る。「山王會」は山王権現の例祭を指すが時期的におかしい。ここは本当の祭ではなく、山王を祀った日枝神社での連句の句会名に神事のそれを洒落れて言祝いだものと思われる。後の曾良「雪まろげ」では、
北國行脚の時、いづれの野にや侍りけん、
あつさぞまさるとよみ侍りしなでしこの花
さへ盛過行(さかりすぎゆく)頃、萩薄に
風のわたりしを力に旅愁をなぐさめ侍りて
しほらしき名や小松吹萩薄
という長い前書がある。
鼓蟾の脇は、
しほらしき名や小松吹萩すゝき 芭蕉
露を見しりて影うつす月 鼓蟾
であった。
平安時代に始まる「小松引き」という正月初めの子(ね)の日に、野に出でて小松を引き抜いて娘子供らが遊んだ「子の日の遊び」というのがあり、芭蕉はそれに通うこの地の名「小松」を「しほらし」い(正しくは「しをらし」で、愛らしい・可憐だの意)と言祝ぎ、それが下五「萩」「すゝき」にも掛かり、「吹く」は同時に小松にも萩や薄にも掛かる。恐らくは庭前にも姫小松が萩が芒が如何にも秋庭らしく配されてあり、そこを渡ってゆく涼やかな秋風もまた実景である。俳諧というより連歌的な風雅を通わせた挨拶句で、脇付も連歌風でスラーのように音楽的になめらかでしかもしっとりとしている。]
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