大和本草卷之十四 水蟲 介類 卷貝 ~ 大方の御批判を乞う
【和品】
卷貝 殼ノ長一寸許殻兩方不相向右片ノ殻左ニ向
ヒテ如卷左ノ方ヨリ殼少掩カ如ニシテ不卷首ハ卷軸
ノ如ク有囘旋之模樣末ハ矢ハズノ如シ細文多シ紋ハ
紫黑色殻色有光是貝子ノ類乎
○やぶちゃんの書き下し文
【和品】
卷貝 殼の長さ、一寸許り。殻、兩方相ひ向かはず、右の片の殻、左に向かひて卷くがごとく、左の方より、殼、少し掩〔(おほ)〕ふがごとくにして卷かず。首は卷軸のごとく、囘旋の模樣有り。末は矢はずのごとし。細文、多し。紋は紫黑色。殻の色、光り有り。是れ、貝子〔(たからがひ)〕の類いか。
[やぶちゃん注:どうもこの叙述は、腹足綱 Gastropoda の「巻貝」総体を指して語っているようには思われない。まず、全体を現代語訳して箇条書きにして注を附してみよう。
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巻貝
・殻(巻き方が特異であるからこれは必ずしも殻長とは言えず、長径と採るのが自然である)の長さは三・〇三センチメートルほどしかない。
・殻は、通常の貝のように左右の貝殻が相い対峙する形状を成していない。
・右の方の殻は、左方向(反時計方向)に向かって巻き込むようになっている。
・左の方の殻は、その巻き込んだ右の殻を微かに覆うようにあるだけで、巻き込みを全くしていない。
・首の部分(右の殻が巻いた巻き込みの部分、則ち、螺塔を指していよう)は軸物の巻物のようで、そこには旋回する紋様がある。
・先端部分(次の「矢はず」という表現からこれは殻頂ではなく、その反対の前溝部・臍孔部から突出した水管部を指すか、又は内唇部の歯状襞の凸凹を指していると考えてよかろう)は矢筈(矢の末端の弓の弦(つる)を受ける部分で、弓の弦につがえるための切り込みのある部分)によく似ている。
・その螺旋形になった部分には細かな紋様が多く見られる(螺肋部と結節部及び縫合部、更には縦に入る縦張脈も含んでの謂いであろう)。
・その紋様は紫がかった黒い色をしている。
・殻には光沢がある(以下でタカラガイとの類似性を述べていることから殻表面の光沢を言っているとまず採るが、しかしこれは殻の内面をも言っていないとは断言出来ない)。
・これは按ずるに宝貝(腹足綱直腹足亜綱下綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目タマキビ下目タカラガイ超科タカラガイ科 Cypraeidae に属するタカラガイ類)のたぐいであろうか?
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問題は大きさと形状及び殻の色と光沢総てである。しかもそれはタカラガイ科 Cypraeidae に属するタカラガイ類に近似して見えるというのである。これはどれをとっても、逆立ちしても腹足綱 Gastropoda の巻貝に汎用出来る内容ではない。
ところが、ここで一歩下がって見てみると、ここまでの「大和本草」で益軒の挙げている貝類は概ね(「タコブ子(ネ)」を除く)斧足類(二枚貝)綱 Bivalvia で、巻貝は少し後の「石決明」(アワビ:しかも益軒はこれを巻貝と認識していない可能性が大である)、ずっと後の「螺」(これが益軒ににとっての腹足類、巻貝である)以降にしか出ないのである。
とすれば、ここに特に敢えてこの「卷貝」なるものを先行して出したのは、それが「螺」のような典型的な現在の我々に馴染み深い「巻貝」とは全く異なるものと益軒が認識していた「もの」であったと考えるのが至当である。
そこで私なりにこれが如何なる種であるを推理して見たい。
まずは陸産有肺類と淡水産は除外する。陸産は益軒自身が「陸蟲」に別掲している点、色彩と形状からピンとくるものが浮かばない点、及び後掲するように「田螺」「河貝子(ミナ)」といった淡水産種はちゃんと淡水産であることを明記して後に掲げているからである。
一つのポイントは特異な巻き方の叙述部分にある。
これは――一見すると、二枚貝の右殻のみが螺を成し、左殻が巻かずに殻口を半ば塞ぐようになっているだけ――に見える、というのである。私がまず想起したのは、
腹足綱直腹足亜綱アマオブネガイ上目アマオブネガイ目アマオブネガイ科
Nerita 属Theliostyla 亜属アマオブネ Nerita(Theliostyla) albicilla
であった。多くの種を有するアマオブネガイ科 Neritidae は、ある意味、はなはだ特徴的な形態を持ち、素人はまさに(少なくとも小学校二年生の時に由比ヶ浜で拾った時の私は)『これって巻貝、なのかなぁ? タカラガイの出来そこないかなぁ?』と疑問に思う形をしている(見るに若かず。グーグル画像検索「Theliostyla albicilla」)。
ご覧の通り、殻は著しく腰高の感じを与える球形又は斜卵形を成し、螺塔も塔の形状を成さず、短小で低平で、種によっては全く平坦となって螺塔を形成しない。しかも体層がはなはだ大きく全殻の大部分を占めており、益軒の言うように――二枚貝の一方の殻が異常に肥厚してずんぐりむっくりの奇形となったような感じ――と言われれば、何となく信じてしまいそうなのである。しかも腹足類、巻貝の今一つの一般的な特徴とも言える螺管は二次的に吸収されてしまっていて痕跡を残さず、画像で見るように本来なら螺管や臍孔・臍索を有するはずの臍域に相当する箇所を見出せない。さらに、内唇が――二枚貝の残りであるかのように(螺を巻かない片貝であるかのように)平坦に殻口に中央から突き出て広く見え(しかも滑らかで光沢のある白い色を成すものが殆んどである)、しかもその内縁端には――まさしく「矢筈」と呼ぶに相応しい――著しい凹凸を成す歯状襞が形成されているのである(この解説部には吉良図鑑(教育社昭和三四(一九五九)年改訂版)の「アマオブネ科」の総説記載の一部を参考にしている)。
アマオブネ
Nerita(Theliostyla) albicilla は殻がやや大きく馬蹄型の半球状を成し、螺塔は小さく巻き込まれて体層は大きい。吉良図鑑によれば、表面に螺状脈を形成し、『黒白の絣状または帯状斑があり、時に暗褐色さえ出現する』(益軒の「細文、多し」「紋は紫黑色」と類似する)。『殻口内外両内縁に歯状刻があり』(益軒の「矢はず」と一致)、『内唇滑層面に顆粒』状の突起を有する。大きさは長径が標準成体個体で凡そ三センチメートルで叙述「一寸」とも一致する(本邦の生息域は本州南部以南)。
問題はこれをタカラガイの仲間のようだと評するかどうかであるが、私は小学生時代の時分自身の思い出の感懐を大切にしたい。確かに、そう、見える。
他にも同定候補はあるであろう。大方の御批判を俟つものである。ただ、恐らく、容易に管見出来る記事でこの「大和本草」の「卷貝」を同定考証しているものは見当たらない。一つの議論のたたき台として拙考を提示するものである。]