耳嚢 巻之九 龍を捕るといふ説の事
龍を捕るといふ説の事
御府内(ごふない)は繁花にて人氣(じんき)さかんなれば、昇龍など見しといふも邂逅(たまさか)の事なり。國々にてはかゝる事度々ありし事なり。予佐州に居(をり)し時は、昇龍といふ樣子を見侍りし。又佐州には龍損(りゆうそん)と唱へ、風雨の損じの外、田畑の損じ家作の損じを書出(かきいだ)し候事時々ありしが、越後越前抔もまゝ龍損の事を唱ふる由、山崎宗篤へ咄しければ、宗篤此頃淸朝より渡來の書の内、刑錢新語(けいさんしんご)といへる書を見しが、專ら經濟の事を書(かき)たるものにて、右の内に龍の動靜にて田畑を損ざし、家屋を破る事あり。是に依(より)龍を捕へ刑する事あり。其手法は、雪の降りしころ、蟄龍(ちつりよう)ある處は其處(そこ)斗(ばかり)雪消へてつもらず。其所を見定めて、檜の材木を土中へ深く打込みぬれば、龍損の愁なしと、右書に見ゆる由語りぬ。予彼(かの)書は見ざれども、一事の奇法に付、爰に記しぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:昇龍から暴龍封じ呪法で直連関で、しかも山崎宗篤談二連発。なお、ここで根岸も見たという「龍」とはもう、自然現象としての竜巻のことと考えてよい。ただ、そこに根岸も幾分かは超自然の「龍」をそこに感じていたのであろうことがこの叙述からは感じられる。
・「邂逅(たまさか)」「邂逅」は万葉時代の古語では「わくらば」と読み、たまたま・偶然に・まれにの意。「たまさか」は「偶さか」「適さか」などとも漢字表記する。私はこの「めぐり逢い」という語が好きなので、現代語訳ではひねって残した。
・「予佐州に居し時」根岸の佐渡奉行としての現地勤務は天明四(一七八四)年三月から
天明七(一七八七)年七月までの二年四ヶ月で、「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏であるから二十二年前のこととなる。
・「刑錢新語」不詳。岩波長谷川氏注に、寛政七(一七九五)年に渡来した書の中に「刑銭必覧」があるとある。この「刑銭必覧」は、明清時代に数多く出版された地方官の官箴書(かんしんしょ:実務マニュアル本)の一冊で、内容は官道徳・訓戒格言・政績実録の他に地方の政治・経済・法律・社会・風俗に関する資料が含まれている。
・「檜の材木を土中へ深く打込みぬれば、龍損の愁なし」ただの直感に過ぎないのであるが、これは五行説の「相克」による呪術ではなかろうか? 龍は「水」である。五行の「相生」では直接には「水生木」(原義は木は水によって養われており水がなければ木は枯れてしまうというもの)であるものの、「相克」では「木剋土」(原義は木は根を地中に張って土を締め付けて養分を吸い取っては土地を痩せさせる)で「土」を支配し、支配された「土」は「土剋水」(原義は土は水を濁して水を吸い取ってしまい常に溢れんとする水を堤防や土塁などによって堰き止める)で「水」に克つ(以上の分かり易い(しかし実際の五行の相生相克はもっと記号論理学的なものであってこのように単純明快なものではない)意味はウィキの「五行」を参照した)。
■やぶちゃん現代語訳
龍を捕まえて罰を与えるという事
江戸御府内(ごふない)は繁華にして人の気(き)も盛んなれば、「龍の昇天」なんどに邂逅したという者は、これ、稀れであるが、地方の国々にあっては、「龍の昇天」なんどはたびたびあることにて御座る。
私が佐渡にあった時分にも、龍が昇天する様子をよく見かけて御座った。
また、佐渡にては「龍損(りゅうそん)」と称して、風雨による金山関連の損害の他にも、民間の田畑の損害及び家作の損害などをこと細かに報告書として作成することが、これ、しばしば御座った。
越後や越前などにても同様の災害を「龍損」と称しておるということを、たまたま来ったかの山崎宗篤(そうとく)殿に話し致いたところが、宗篤殿が、
「近頃のこと、清朝より渡来せる書の中(うち)に、「刑銭新語(けいせんしんご)」と申す書を見出し、披見致いて御座った――これ概ね、経済政策に就いて書かれるもので御座ったが――いや、その中に、
――龍が動静致すに依って、田畑を損ねては家屋を損壊せること、これあり……
――されば、龍を捕らえて、これを罰するという法、これあり……
――その仕儀は、雪の降ったる折り、地中深くに蟠ったる蟄竜(ちつりょう)の居る場所にては、そこばかり、降ったそばから雪の消え、積もること、これなし……
――さればそこを見定め、太き檜(ひのき)の材木を、しっかりと土中深くへ打ち込んだれば「龍損」の憂い、これなし……
と、その書に、確かに記されて御座った。」
と、語って御座った。
私はその書は見て御座らぬが、一種の奇法なればこそ、ともかくもここに記しおくことと致す。
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