杉田久女句集 277 花衣 ⅩLⅥ 筑前大島 十二句
筑前大島 十二句
大島の港はくらし夜光蟲
濤靑く藻に打ち上げし夜光蟲
足もとに走せよる潮も夜光蟲
夜光蟲古鏡の如く漂へる
海松(みる)かけし蟹の戸ぼそも星祭
[やぶちゃん注:坂本宮尾氏は「杉田久女」で、『この句の中七は「ホトトギス」(昭和9・9)、久女の草稿、いずれも「蜑の戸ぼそ」となっている。句集に「蟹の戸ぼそ」とあるのは蟹(かに)と蜑(あま)という文字の形が似ているいるために植字段階で生じた間違いではないだろうか』と述べておられ、私もそれを支持するものである。以下に正しい句形を読みを附して示しておく。
海松(みる)かけし蜑(あま)の戸ぼそも星祭
実は当初、海産無脊椎動物フリークの私は、真顔で、砂蟹などの巣の入り口に海松が懸っているのを擬人化したのだな、などと独り合点して読んでいたことを告白しておく。]
大島星の宮吟咏
下りたちて天の河原に櫛梳り
彦星の祠は愛しなの木蔭
[やぶちゃん注:坂本宮尾氏は「杉田久女」で、本句について、『まず「愛(かな)し」と読んで、それにつづく「な」は「何(な)」ととって、「祠(ほこら)には深く心を惹かれるか、いったいこれは何の木の陰であろうか」という意味と解釈しておく。木陰にある彦星の祠を見つけた作者の気分の高揚が伝わってくる』と鑑賞されている。穏当なところであろう。私は『高揚』というより、年に一度、盥の面を介してしか語り合えぬ貴公子(彦星)への強い愛惜の思いを詠んだものと思う。]
口すゝぐ天の眞名井は葛がくれ
玄界灘一望の中にあり
荒れ初めし社前の灘や星祀る
大波のうねりもやみぬ沖膾
星の衣(きぬ)吊すもあはれ島の娘ら
星の衣は七夕の五色の紙を衣の形に
切り願事をしるして笹に吊すもの
乘りすゝむ舳にこそ騷げ月の潮
[やぶちゃん注:これらは底本年譜で、昭和八(一九三三)年の八月末に、響灘と玄界灘の境界部に面する現在の福岡県宗像市に属する筑前大島のほしの宮の七夕祭りに詣でており、その折りの吟詠と考えてよい。この年の旧暦の七月七日は八月二十七日であった。この島の中央部にある最高峰の御嶽(標高二百二十四メートル)の山頂には宗像大社中津宮の奥の院に当る御嶽神社がある。この山の麓の丘の上にある中津宮(船着き場近くでもある)には宗像三女神が生まれたという伝承を持つ天の真名井(まない)があるが、同時にここは本邦での七夕伝説発祥の地としても知られる。宗像大社公式サイトの「夏のまつり」によれば、ここでの七夕祭は古く、鎌倉時代から行われており、宗像大社中津宮の境内に流れる「天の川」を挟んで牽牛神社と織女神社が祀られており、現在では旧暦の七月七日に近い八月七日に島内で盛大に七夕祭りが行われる、とある。そこにある「筑前大島天の川伝説」や坂本宮尾氏の「杉田久女」にある同伝説によれば――昔、貴公子が唐の国に遣いし、何人かの唐人の織女を伴って帰国の途次、その内の一人と深い愛し合ったが、それは果敢ない仮初の縁でしかなく、帰国するや、貴公子は無論、都に戻ってしまい離ればなれとなった。織女を忘れられぬ貴公子は鬱々と日を過ごしていたが、ある夜、夢枕に天女が現われ、この筑前大島の中津宮に行けと告げる。来職を擲った貴公子はその中津宮の神官となった。ある星の美し晩、「天の川」に盥(たらい)を浮かべて禊(みそぎ)をしていると、その盥の中の水の面に織女が映っていた。二人はそうして秘かに二人きりの逢瀬を楽しんだという。――]
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