橋本多佳子句集「海彦」 夏書の筆
夏書(げがき)の筆
[やぶちゃん注:「夏書」とは本来は夏安居(げあんご:インドの僧伽に於いて雨季の間は行脚托鉢を休んで専ら阿蘭若(あらんにゃ:寺院)の内に籠って座禅修学することを言った。本邦では雨季の有無に拘わらず行われ、多くは四月十五日から七月十五日までの九十日を当てる。これを「一夏九旬」と称して各教団や大寺院では種々の安居行事がある。安居の開始は結夏(けつげ)といい、終了は解夏(げげ)というが、解夏の日は多くの供養が行われて僧侶は満腹するまで食べることが出来る。雨安居(うあんご)若しくはただ安居ともいう。ここは平凡社「世界大百科事典」の記載をもとにした。)の期間中に経文を書写すること、また、その書写した経文をいう語。第三句から実際の経文の書写を多佳子がしていた事実があるのであろうが、それ以上にそらくは以下の句作をその書写に擬えたものででもあったのであろう。]
炎天や笑ひしこゑのすぐになし
踊り唄終りを始めにくりかへし
夏書の筆措けば乾きて背くなり
ひしひしと声なき青田行手に満ち
舷燈の一穂(すゐ)に火蛾海渡る
万緑や石橋に馬乗り鎮むる
誓子先生と名張の藤堂氏を訪ふ 三句
トンネルに眼つむる伊賀は万緑にて
明けて覚めをりひとの家の蚊帳に透き
螢火の一翔つよく月よぎる
[やぶちゃん注:年譜の昭和二八(一九五三)年六月の条に『名張へ螢狩に行く。女性らのほかに、誓子、静塔、薫参加、藤野弥生居に一泊』とある。「薫」は堀内薫、藤野弥生は俳人(詳細不詳。しかし「藤堂氏」というのと「藤野」の齟齬が気に掛かる)。「一翔」は「ひととび」と訓じているか。]
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