北條九代記 卷第六 武藏守泰時執権 付 二位禪尼三浦義村を諫めらる〈北条泰時の第三代執権就任及び伊賀氏の変Ⅱ 北条政子、突如直々に三浦邸を訪問、三浦義村に諫言、翌日、義村は泰時の許へ参上、乱の未然の終息を報告、泰時、淡々と政村への悪意なきを仰せらる〉
二位禪尼、安からず思ひ給ひ、七月十七日の子刻(ねのこく)計(ばかり)に、駿河局計(ばかり)を召倶(めしぐ)して潛(ひそか)に駿河前司義村が家に入り給ふ。義村、思寄らず、恐れたる氣色なり。禪尼仰せけるやう、「前の陸奥守義時の卒去に付て、武蔵守泰時、鎌倉下向ありける所に、世の中靜ならず、陸奥四郎政村、式部丞光村等(ら)、頻(しきり)に義村が家に出入して密談の事あるの由、風聞す。若(もし)、泰時を謀りまゐらせん爲か、義時忠勤の大功、承久(しようきう)逆亂(げきらん)の治運(ぢうん)、干戈(かんくわ)靜謐(せいひつ)せし、其跡を繼ぎて關東の棟梁たるべき者は武蔵守泰時なり。誰か之を爭んや。政村、泰時の兩人、和平の諫を加へらるべし。政村を扶持(ふち)して叛逆(ほんぎやく)を企てられば、言語道斷の事なるべし。かく申すを用ひらるべきか、用ひまじき歟(か)、申し切るべし」とありければ、義村、申しけるは、「陸奥四郎政村は全く逆心なし。式部丞光宗等は用意ありと覺え候。仰の趣、畏りて制禁(せいきん)を加へ候はん。此事遁避(とんひ)仕るまじ」と誓言(せいごん)をもつて請合(うけあひ)申す。二位禪尼、「必ず和平(くわへい)の事打置き給ふな」とて、やがて御所にぞ歸り給ふ。夜明て後、三浦義村は泰時の方へ參りけるに、最殊(いとこと)となく出合ひて對面あり。義村、申されけるやう、「故義時の御時に、義村屢(しばしば)忠勤の抽(ぬき)いで、御懇志(ごこんし)を表せられ、四郎殿御元服の時、義村を烏帽子親とし、愚息泰村を御猶子(ごいうし)になさる。此芳志(はうし)あるを以て泰時、政村御兩所に付て、いづれを疎(おろそか)に存ずべき。只願ふ所は、兩所、御和平(くわへい)候へかし。式部丞は日比、計略の事、候歟(か)。義村、諷諫(ふうかん)いたし候へば漸く歸伏して候」とぞ申しける。武藏守〔の〕泰時、更に喜怒(きど)の色なく、「我は政村に、聊も野心なし。何事によりて別意を致さるべき」とぞ申されける。義村、心少し安堵して宿所にぞ歸りける。
[やぶちゃん注:[やぶちゃん注:〈北条泰時の第三代執権就任及び伊賀氏の変Ⅱ 北条政子、突如直々に三浦邸を訪問、三浦義村に諫言、翌日、義村は泰時の許へ参上、乱の未然の終息を報告、泰時、淡々と政村への悪意なきを仰せらる〉
「駿河局」北条家に古くからいる女房で、政子の信頼厚く、女中頭的存在であった。
「式部丞光村」後文で分かるように伊賀「光宗」の誤り。三郎光村は義村の四男であるが、官位は「式部丞」ではない。
「用意あり」何か事を企もうとしておるようにては御座る。
「制禁」ある行為をさし止めること。
「遁避」遁(のが)れ避けること。
「打置き」物事をそのままに放っておく。
「御懇志を表せられ」特に私に目をお掛けなさって、懇ろなる御厚情をお示しになられ。
「四郎殿」北条政村。
「烏帽子親」仮親(かりおや)の一つ。元服する男子に烏帽子を被らせて烏帽子名(えぼしな:男子元服の際に幼名を改めて烏帽子親の名前から一字を貰ってつける元服名)をつける人。
「諷諫」遠回しに忠告すること。また、その忠告。
「何事によりて別意を致さるべき」一体、如何なる理由によって政村に敵意を抱かねばならぬなどということがあろうか? いや、ない。
以下、「吾妻鏡」であるが、伊賀の乱関連でまず、貞應三(一二二四)年七月五日の条を示す。
○原文
五日庚子。鎌倉中物忩。光宗兄弟頻以往還于駿河前司義村許。是有相談事歟之由。人恠之。入夜。件兄弟群集于奥州御舊跡。〔後室居住。〕不可變此事之旨。各及誓言。或女房伺聞之。雖不知密語之始。事躰不審之由。告申武州。々々敢無動搖之氣。彼兄弟等不可變之由。成契約。尤神妙之旨被仰云々。
○やぶちゃんの書き下し文
五日庚子。鎌倉中物忩。光宗兄弟、頻りに以つて駿河前司義村が許(もと)に往還す。是れ、相ひ談ずる事有るかの由、人、之れを恠(あや)しむ。夜に入り、件(くだん)の兄弟、奥州の御舊跡〔後室、居住す。〕群集し、此の事を變ずべからずの旨、各々誓言(せいごん)に及ぶ。或る女房、之れを伺ひ聞き、密語の始めを知らずと雖も、事の躰(てい)不審の由、武州に告げ申す。武州、敢へて動搖の氣無し。彼(か)の兄弟等(ら)、變ずべからずの由、契約成すは、尤も神妙の旨、仰せらると云々。
・「光宗兄弟」光宗とその弟光資であろう。光宗の兄伊賀光季は既に見てきたように、承久の乱勃発時、高辻京極にあった宿所を襲撃されて自害している。
・「奥州」故北条義時。
・「此の事を變ずべからず」このこと(内容不明)について決して変節することは致しません。
・「武州」北条泰時。]
以下、四日(六・九・十一・十三日)に亙って天空の星の運行に異常な変異が起こっていることが記され、十三日には特別な祭式が挙行されている。十一と十六日には故義時の四七日(よつなぬか:二十八日目の法事。)と五七日(いつなぬか:三十五日目の法事。)が行われている。
次に十七及び十八日の条を続けて出す。
○原文
十七日壬子。晴。近國輩競集。於門々戸々卜居。今夕大物忩。子尅。二位家以女房駿河局計爲御共。潛渡御于駿河前司義村宅。義村殊敬屈(原文口偏)。二品仰云。就奥州卒去。武州下向之後。人成群。世不靜。陸奥四郎政村。幷式部丞光宗等。頻出入義村之許。有密談事之由風聞。是何事哉。不得其意。若相度武州。欲獨歩歟。去承久逆亂之時。關東治運。雖爲天命。半在武州之功哉。凡奥州鎭數度烟塵。戰干伐令靜謐訖。繼其跡。可爲關東棟梁者。武州也。無武州也。諸人爭久運哉。政村与義村。如親子。何無談合之疑乎。兩人無事之樣。須加諷諫者。義村申不知之由。二品猶不用。令扶持政村。可有濫世企否。可廻和平計否。早可申切之旨。重被仰。義村云。陸奥四郎全無逆心歟。光宗等者有用意事云々。尤可加禁制之由。及誓言之間。令還給云々。
十八日癸丑。晴。駿河前司義村謁申武州云。故大夫殿御時。義村抽微忠之間。爲被表御懇志。四郎主御元服之時。以義村被用加冠役訖。以愚息泰村男爲御猶子。思其芳恩。貴殿与四郎主。就兩所御事。爭存好惡哉。只所庶幾者。世之安平也。光宗日者聊有計略事歟。義村盡諷詞之間。漸歸伏畢者。武州不喜不驚。下官爲政村更不挿害心。依何事可存阿黨哉之旨。返答給云々。
○やぶちゃんの書き下し文(一部に《 》で注を挟み、直接話法化したため、やや訓読表記に違和感があるかも知れない)
十七日壬子。晴る。近國の輩、競ひ集まり、門々戸々に於て卜居す。今夕、大いに物忩(ぶつそう)。子の尅《深夜十二時前後》、二位家、女房駿河局計りを以つて御共と爲し、潛かに駿河前司義村が宅に渡御す。義村殊に敬屈(けいくつ)す。二品、仰せて云はく、
「奥州卒去に就きて、武州下向の後、人、群れを成し、世、靜まらず。陸奥四郎政村幷びに式部丞光宗等(ら)、頻りに義村が許へ出入し、密談の事有るの由、風聞す。是れ何事ぞや。其の意(こころ)を得ず。若し、武州を相ひ度(はか)りて、獨歩せんと欲するか。去ぬる承久の逆亂之時、關東の治運(ぢうん)、天命たりと雖も、半ばは武州の功に在るか。凡そ奥州、數度の烟塵鎭め、干伐を戰はせて靜謐せしめ訖んぬ。其の跡を繼ぎ、關東の棟梁たるべき者は、武州なり。武州無くんば、諸人、爭(いか)でか運を久しうせんや。政村と義村とは、親子のごとし。何ぞ談合の疑ひ無からんや。兩人無事の樣に、須らく諷諫を加ふべし。」
てへれば、義村、
「知らざる。」
の由を申す。二品、猶ほ用ひず、
「政村を扶持せしめ、濫世(らんせい)の企(くはだ)て有るべきや否や、和平の計(はかりごと)を廻らすべきや否や、早く申し切るべき。」
の旨、重ねて仰せらる。義村、云はく、
「陸奥四郎は全く逆心無きか。光宗等は用意の事有り。」
と云々。
「尤も禁制を加へるべき。」
の由、誓言に及ぶの間、還らしめ給ふと云々。
十八日癸丑。晴。駿河前司義村、武州に謁し、申して云はく、
「故大夫の御時、義村、微忠を抽(ぬき)んづるの間、御懇志を表せられんが爲に、四郎主《北条政村》御元服の時、義村を以つて加冠の役に用ゐられ訖んぬ。愚息泰村が男を以つて御猶子(ごいうし)と爲す。其の芳恩を思ふに、貴殿と四郎主、兩所の御事に就きては、爭でか好惡を存ぜんや。只だ、庶幾(しよき)する所は、世の安平なり。光宗、日者(ひごろ)聊か計略の事有るか。義村、諷詞(ふうし)を盡すの間、漸くに歸伏し畢(をは)んぬ。」
てへれば、武州、喜ばず、驚かず、
「下官《卑小の一人称》は政村が爲に更に害心を插(さしはさ)まず。何事に依つてか阿黨(あたう)を存ずべききや。」
の旨、返答し給ふと云々。
・「庶幾」心から願うこと。
・「諷詞」遠回しに言うこと。
・「阿黨存ず」原義は権力のある者に阿(おもね)り、組すること。また、その仲間を指すが、ここはやや捩じれた表現で一方の権威とその取り巻きの敵対集団として認識する、という謂いのようである。]
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