今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 83 月に名を包みかねてやいもの神
本日二〇一四年九月二十七日(当年の陰暦では九月四日)
元禄二年八月 十四日
はグレゴリオ暦では
一六八九年九月二十七日
【その二】湯尾峠(ゆのおとうげ:福井県南条郡南越前町湯尾と同町今庄の間、東の三ケ所山と西の八ヶ所山の鞍部にある標高約二百メートルの峠。)にて。
湯尾
月に名を包みかねてやいもの神
[やぶちゃん注:「ひるねの種(たね)」。「荊口句帳」には、
木の目峠 いもの神やど札有
という前書がある。この「やど札」とは、姓名などを記して門口に掲げ、その人の住居であることを知らせる門札、今の表札の意で、ここは「いもの神」=疱瘡神が住まっていることをこの貼札で告げて、疱瘡の厄を払うための御札を指すものと思われる。
「いも」は天然痘のこと。前に注した通り、当時、この峠附近には四軒の茶屋が賑やかに商売を営み、また、峠の西端にある疱瘡神を祀ったとされる孫嫡子神社があって、これらの茶屋ではその御守札も配布していた。
y_ogawa 氏のサイト「北陸の峠道」の「湯尾峠」によれば、『峠に老夫婦住みて子なきを嘆く、通りかかった役小角(えんのおづぬ)が哀れんで如意輪観音の七星の神呪を授けた。暫くして娘現れ子となり、光明童子の化身現れて娘と結ばれて子を授け云々とあ』り、後、『孫嫡子長じて奈良東大寺等に学び、この地に庵をむすび観音を祭り人々の災厄を除き開導せし』めたばかりか、『醍醐天皇疱瘡を患い当社に祈願したらたちまちに平癒したまう、それより疱瘡の神として世に伝わった』と記す。疱瘡神絡みの「いも峠」は諸国にあったと山本健吉氏の注にある。ここは「いも」に八月十五夜の月「芋名月」(里芋を供えることに由来)を掛けた如何にも軽い洒落句である。]
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