飯田蛇笏 山響集 昭和十三(一九三八)年 春
昭和十三年
〈昭和十三年・春〉
初機のやまひこしるき奥嶺かな
深山川連理(れんり)の鳥に年たちぬ
春還る山川機婦に奏(かな)でけり
春淺き灯を神農にたてまつる
初竈みづほの飯(いひ)は白かりき
ねこやなぎ草籠にして畔火ふむ
富士川波木井のほとり
富士渡し姉妹の尼に淺き春
[やぶちゃん注:現在の山梨県南巨摩郡身延町波木井を流れる、日本三大急流富士川の支流域地名。大城川と相又川が合流して波木井川となり、身延町を南から北に大きく蛇行して富士川に合流する。]
鰍澤古宿
春淺くやくざを泊むるはたごかな
[やぶちゃん注:「鰍澤」山梨県南巨摩郡旧鰍沢町(かじかざわちょう)。富士川に面し、江戸時代には富士川舟運の拠点であった鰍沢河岸が設置されて栄えた。近代には鉄道や道路など交通機関の発達に伴い、商業圏の拠点としての役割が低下、特に近年は過疎化が進行している。現在は北隣の増穂町と合併して富士川町(ふじかわちょう)となっている(ウィキの「鰍沢町」に拠る)。それにしても「やくざ俳句」とは傑作!]
國原の水縦横に彼岸鐘
絨毯に手籠の猫子はなたれぬ
壁爐冷え猫子あくまで白妙に
花祭みづ山の塔そびえたり
[やぶちゃん注:「花祭」灌仏会・仏生会のこと。釈迦の生誕とされる四月八日に行われる。「花祭」は明治以降の呼称。]
彼岸會の故山邃(ふか)まるところかな
暾にぬれて陸橋の梅さき滿ちぬ
[やぶちゃん注:「暾」朝日。「ひ」と訓じているか。]
梅ちりて蘭靑みたる山路かな
宿入の身をなよなよと會釋かな
[やぶちゃん注:「なよなよ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
花菜蔭蝶こぼれては地に跳ねぬ
夜嵐のしづまる雲に飛燕みゆ
ころしも三月みそか
歸省子の擁すギターに宿雪盡く
[やぶちゃん注:「ころしも」とは「頃しも」(強意の副助詞「し」+詠嘆の係助詞「も」)で、その頃丁度の意。「宿雪」は「ねゆき」と訓じているか。]
興津園試作場
暮春の娘柑樹の珠に戲れぬ
[やぶちゃん注:「興津農林省園藝試作場」は明治三五(一九〇二)年に静岡県庵原郡興津町(現在の静岡市清水区)に創られた農商務省農事試験場園芸部が大正一〇(一九二一)年に農林省園芸試験場として独立したもので、現在の茨城県つくば市藤本にある独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構の一つである果樹研究所の前身。ナシの豊水・幸水、リンゴのふじなどを育成、また、アメリカ合衆国首都ワシントンD.C.のポトマック河畔にある桜並木の桜は明治の末に当時の東京市長尾崎行雄が送ったものであるが、その桜の苗木の育成を担当したのは当時の農商務省農事試験場園芸部(現在独立分離したカンキツ研究興津拠点)でこのワシントンの桜と兄弟の桜が興津拠点に現在も植栽されており、薄寒桜と呼ばれて親しまれている、と参照したウィキの「果樹研究所」にある。「山廬集」の昭和一〇(一九三五)年の夏の句にも、
興津農林省園藝試作場
白靴に場(には)の睡蓮夕燒けぬ
がある。]
春の雷白晝(まひる)の山を邃うせり
[やぶちゃん注:「邃う」は先行句にもある通り、「ふこう」(深う)と読む。]
風吹いて蝶杣山を迅くすぎぬ
註――杣山は木を伐り出す山の稱
山墓の濡るむら雨に櫨子(しとみ)咲く
[やぶちゃん注:「櫨子(しとみ)」バラ目バラ科サクラ亜科リンゴ連ボケ属クサボケ(草木瓜)
Chaenomeles japonica の別名。普通の木瓜のことである。通常は「しどみ」であるが、拡大してみても濁点が認められないので暫くママとする。「しどみ」とは、野焼きの際、これ以上延焼させたくない境にこれを植えて火を止める「火止め」から「しどめ」「しどみ」となったとも、また赤い花から「朱留(しゅどめ)」となりそれが転訛したものとも言われる(語源説は個人ブログ「爺ちゃんの花日記」の『クサボケ(しどみ) 今日の誕生日の花は「クサボケ」』を参照させて戴いた)。]
大德坊句筵
松蟬に神山雲遠ざけぬ
[やぶちゃん注:「山廬集」の昭和五(一九三〇)年の句にも、
大谷山大德坊
神山や風呂たく煙に遲ざくら
と出るのであるが、「大德坊」は不詳。識者の御教授を乞う。]
別れ霜音質花月光りさす
春驟雨迅く蕊しるき野茨かな
龍舌蘭夜は闌春の星下る
[やぶちゃん注:「闌春」は「らんしゆん(らんしゅん」で、春の中ほどの意。]
山櫻嶺々に靑草香をはなつ
風雨凪ぐ大巖山のなごり花
四月十七日、粕谷の蘆花舊居を訪ふ
蘆花舊廬灰しろたへに春火桶
[やぶちゃん注:現在の東京都世田谷区粕谷にある徳富蘆花の旧宅。まさにこの直近の昭和一三(一九三八)年二月二十七日に、既に未亡人愛子氏によって東京都に寄附されていたものが、都立公園蘆花恒春園として開園していた。個人的に私の非常に好きな場所である。]
山盧庭前
巖温く芽牡丹たわむ雨の絲
某君経営の温室に遊ぶ
土蒸してメロン花咲く小晝時
六峰氏より贈られたる觀世音を祀らんと
するに折柄山上曹源師來庵、開眼供養せ
らる
白木瓜に翳料峭と推古佛
[やぶちゃん注:「六峰氏」不詳。「山上曹源」(やまがみそうげん 明治一一(一八七八)年~昭和三二(一九五七)年)は曹洞宗の禅僧で仏教学者。佐賀県生まれ。号、霊岳。インド・セイロン(スリランカ)に留学、サンスクリット及びインド哲学を学び、帰国後は母校曹洞宗大学(現在の駒沢大学)教授・駒沢大学長などを勤めた。著作に「仏教思想系統論」など(講談社「日本人名大辞典」に拠る)。「料峭」は春風が肌にうすら寒く感じられるさま。「れうせう(りょうしょう)」と読み、春風が肌に薄ら寒く感じられるさまをいう。]
« 『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 鶴岡八幡宮(Ⅱ) ~ 了 | トップページ | 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 年始 / 合鴨 »