今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 -1 うきわれをさびしがらせよ秋の寺
本日二〇一四年十月十八日(当年の陰暦では九月二十五日)
元禄二年九月 六日
はグレゴリオ暦では
一六八九年十月十八日
以下、「奥の細道」の旅のおまけである。この日、芭蕉は曾良らとともに伊勢神宮遷宮参拝の旅に登ったのであるが、この日から三泊、曾良の伯父深泉良成が第四世住持をしていた、三重県長島(現在の桑名市長島町西外面)にある真言宗大智院(時の長島藩主松平良尚の祈願寺)に投宿している。
伊勢の國長島大智院に信宿ス
うきわれをさびしがらせよ秋の寺
[やぶちゃん注:真蹟色紙。この句、後に推敲されて詠み変えられて、元禄三年、あたかも幻住庵で詠じられたかのように伝えて、
憂きわれを寂しがらせよ閑古鳥
と元禄四年四月の「嵯峨日記」に載って人口に膾炙するが、実は原句はあくまで「奥の細道」の余韻の中で詠まれた本句であったことを知る人はあまり多いとは思われない。ただ、芭蕉自身、そこに『ある寺に獨り居て云ひし句』と由来を記しており、また「幻住庵記」の初稿と推定されるものの中にも『かつこどりわれをさびしがらせよなどそゞろに興じて』とあって(この二箇所の引用は山本健吉氏の「芭蕉全句」の「うきわれを淋しがらせよかんこどり(猿蓑)」の評釈からの孫引き)、芭蕉が初期形のあくまで静寂な「秋の寺」に「うきわれをさびしがらせよ」という事大主義的な命令形をぶつけた失敗を気にして改案を重ねた様子がつぶさに見てとれると言えよう。山本氏によれば「うきわれをさびしがらせよ」とは、『芭蕉がしばしば、孤独の境涯を嚙みしめるたびに口頭に乗せた愛誦句で』、これは西行の、
とふ人も思ひたえたる山里の淋しさなくば住み憂からまし
に拠ったものであるとし、改作の下の句「かんこどり」(閑古鳥)の方は、やはり西行の、
山里にたれをまたこは呼子鳥(よぶこどり)ひとりのみこそ住まんと思ふに
に導かれたものであるとある。そうして『世を憂しと観ずることが、芭蕉を孤独の境涯に住せしめているのだが、独りでありながらなお憂しと観ずる自分に、その憂さを脱却するきっかけとして、本当の淋しさを与えてくれというのである』と評されておられる。至言と言えよう。]
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