日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 凧上げ
この季節(一月)、東京中の人が皆紙鳶(たこ)を持っている。そして風の具合がいいので、空は大きさ、形、色の異る紙鳶で、文字通り充満している。そのある物は非常に大きいので、揚げるのに小型な繩を必要とする。又あるものには、色あざやかに、大きな竜が描いてある。これ等は時に八フィート四方もあり、手鼓に似た目玉が円い縁辺の中にかけてある。目玉の一面は黒く、反対面には銀紙がはってあるので、風がそれを回転させると、この怪物はまばたきしているように見える。私は、醜悪な外貌をした紙鳶が突然下りて来たので、その附近にいた鶏が、この上もなく気遣じみた容子で飛び散るのを見た。紙鳶のある物は、長い袖を風にハタハタさせる子供の形、ある物は両翼を張った烏、また百足(むかで)、扇その他の面白い形をしている。紙鳶はこわれやすそうに見えるが、非常な力で地面にぶつかり、そして引き摺られても、破れたりしない。骨組は軽い竹の細長片で出来ていて、骨組の横の骨の両端から張った糸に依って、僅か後にそっている。これは、あの日本特有の強靭な紙を、太鼓の面皮を張るように張るので、前面は凸円形である。紙鳶はあらゆる方法であがる。長い尾を持たぬものも、下の隅から極めて長い尾を二本ぶら下げたものと同様に、空中で安定を保っている。これ等の二本の長い尾が、並行して垂れ下るところは誠に美しい。そして紙鳶が前後に揺れると、尾の優美な屈曲は、完全な一致を以て全長にわたる。ある紙鳶は力強く前後に動き、他のものは強風を受けて、頭の真上に上り、そして糸が殆ど垂直であるように出来ている。
[やぶちゃん注:グーグル画像検索「凧」を配しておく。
「八フィート」約二・四四メートル。
「紙鳶のある物は、長い袖を風にハタハタさせる子供の形」原文は確かに“Some of the kites are in the shape of a boy with long sleeves
fluttering in the wind”とあるが、これは奴凧のことを指している。]
図―493
図―494
男の子達は、単に紙鳶をあげてよろぶこばかりでなく、屢々紙鳶を戦わせるが、これは私が見た、彼等が仲間同志で戦う唯一の方法であることをつけ加えよう。紙鳶屋で、紙鳶の糸に取りつける、簡単な木製の装置を売っているが、この装置の深い刻み目に、図493に示す如く、鋭い刃がついている。紙鳶をあやつることによって、その糸を相手の糸の上に持って来ることが出来る。そして、それを引きよせている内に、糸は刻み目にすべり込んで切断される。異る街区の子供達は、お互に姿を見せずに、このような競争をする。男の子が自分の紙鳶を、殆ど直角に、その横に揚っている紙鳶まで近づける巧妙な方法を見ることは、私にとっては初めてであった。紙鳶には屢々、竹の弓でピンと張った、薄い鯨骨の平紐でつくった「歌い手」が取りつけられる。これは紙鳶の頭にしっかりとつけるが、凪が鯨骨の平紐を震動させると、平削機、又は製材所を思わせるような、大きな、ブンブンいう音が出る。物を書いている時、千フィートも離れた所にいる子供があげる紙鳶が、自分の家の真上にあり、そして間断なくブンブン唸り声を立てると、時として大いにうるさい。このエオリアン風奏琴(ハープ)に似た装置以外に、弓に似た竹片に単に一本の糸を張り渡し、それに短く切った紙をつけた物も見た。これ等は風に当って非常に速くはためく結果、鯨骨(時としては竹)製の平紐とは異る、一種奇妙な唸り声を立てる。図494は紙鳶の頭にとりつける、音楽的仕掛の写生である。
[やぶちゃん注:この糸を切り合う凧合戦が現在、新潟県三条市で公的な祭りとして三条凧(いか)合戦なるものが行われている(毎年六月の第一土曜日とそれに続く日曜日に三条凧協会が主催して開催される。但し、三条市では凧を「たこ」と呼ばずに「イカ」と呼ぶので注意)。それを纏めたウィキの「三条凧合戦」に、この糸を切る装置ついて『糸に付けたワニと呼ばれる木製の道具でワニの口に似た器具』と書かれてあり、まさにモースの絵のそれも鰐の口のようである。リンク先の記載はこの祭りのルーツや庶民対武士の凧合戦という下りは非常に興味深いものである。
『竹の弓でピンと張った、薄い鯨骨の平紐でつくった「歌い手」』凧を鳴らすための装置の方は、まさにそうした音を鳴らすことから名がついた岐阜の虻凧(あぶだこ)の資料によると「うなり」と呼ばれる。
「平削機」原文“a planing machine”。平削り盤。機械鉋(かんな)のこと。
「千フィート」三〇四・八メートル。
「エオリアン風奏琴(ハープ)に似た」原文は“æolian-harp-like”。ウィキの「エオリアンハープ」によれば、弦楽器の一種で、自然に吹く風により音を鳴らす楽器とあり、『ギリシャ神話の風神アイオロスに由来』するとある。『ショパンの練習曲Op.25-1を聞いたシューマンの「まるでエオリアンハープを聞いているようだ」という感想から、この曲の愛称としても知られる』(「Rubinstein, A - Chopin - Etude As-dur op.25 n 1」をリンクさせておく)。『ギリシャ時代からあったといわれるが、近代ではアタナシウス・キルヒャーがこれを再現』、十八~十九世紀にかけて使用されたとあり、『木製の筐体と弦のみで構成されており、中には風を効率よく集めるフラップを持つものもある。音が鳴る原理は、弦を通過した空気がカルマン渦を発生させ、それを加振力として弦が共振を始め、筐体で共鳴させるというものである。通常の楽器では避けるべきものとされるヴォルフトーンを積極的に利用し、少ないエネルギーで音を出す工夫がなされている。弦は心地良く聞こえる和音の組み合わせになっており、音色は調律にはほとんど左右されず、弦の直径と風速で決まるという特徴を持つ』と記す。Morgan Hendry 氏の「Aeolian Harp - First Sounds (Part 1)」で実際の音を聴くことが出来る。]
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