うまごやし 萩原朔太郎 (短歌)
[やぶちゃん注:以下は底本全集第二巻「習作集第八卷(哀憐詩篇ノート)」に所収する短歌群の一つ、「うまごやし」歌群。冒頭のクレジットによれば大正二(一九一三)年四月の作である。圏点「○」(冒頭二首下)は、編者注に従って推定復元したものである(特に「○」の位置は「下」とのみあるので不確かである)。]
うまごやし
一九一三、四、
うまごやし身をやわらかに投げ伏して
あてなく物をさがすなりけり ○
[やぶちゃん注:「やわらかに」はママ。]
れもね水管(くだ)もて吸へばいち早く
はつ夏來りすゞろぎにけり
浮寢鳥旅に來りてかくばかり
長き渚をたどる哀しさ
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「浮寢鳥」は「うきねどり」で、水に浮いたまま寝る鳥の意から、和歌では思う人に逢えぬ嘆きに喩えて用いる。]
ふるさとの公園地をばこの日頃
ふところ手して步むなりけり
人思へば人のつれなく世思へば
世のあぢきなく五月雨の降る
さと下すその指揮棒にヰオロンの
弓の光りて夏は來にけり
咲きにけり女ごゝろのさみしさに
爪かむときの夏ぐみの花
咲きにけり女ごゝろのさみしさに
爪かむときの夏ぎくの花
[やぶちゃん注:以上二首は底本では一首であって、「ぐみ」と「ぎく」の部分が同位置に横に併置(別案)されているのを復元したものである。]
いとしげく戀しさまさり忍ぶれど
尙あまりゝす花咲きにけり
かくありて思ひたえんと夕潮の
身をなのりそに戀ひわたる哉
ごんがん、ごんがん、鐘鳴る鐘鳴る
たはかりの列步み行くなり
いはれなく我身をうとむことばかり
たび重なりて夏は來にけり
哀しみて蒲英公の莖を折るときに
白き淚はにじみ流れぬ
[やぶちゃん注:「蒲英公」はママ。無論、「蒲公英」(たんぽぽ)の誤記であるが、私の好きなこの一首の中では、誤字であっても、それが何か相応しく見えるのである。]