『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 西御門
●西御門
西御門は法華堂の西の廣き谷なり。賴朝屋敷を搆へたる時西門のありし跡な乞り。南北の門も東鑑に見へたり。今其跡知れず。南門は畠山屋敷を以て考ふれば。大倉村の邊ならむ。北門は和田合戰の時。尼御臺所並に實朝の御臺所等營中を去り。北門より鶴岡の別當坊へ渡御し給ふとあり。
[やぶちゃん注:本文は「新編鎌倉志卷之二」の「西御門」本文の丸写し。
「畠山屋敷」畠山重忠邸跡。彼の屋敷は南御門(現在の鶴岡八幡宮源氏池の東隣り)にあったらしい。
「北門は和田合戰の時……」「吾妻鏡」建暦三(一二一三)年五月二日(和田合戦初日。三日に決着)の条に、大江広元と北条義時から意想外の和田の急襲の報を受け、『尼御臺所幷御臺所等去營中出北御門。渡御鶴岳別當坊』(尼御臺所幷びに御臺所等、營中を去り、北御門を出でて、鶴岳別當坊へ渡御す)とあるのを指す。「實朝の御臺所」は坊門信子(のぶこ)。]
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