甲子夜話卷之一 17 石川兵庫の生母三也子の事
17 石川兵庫の生母三也子の事
三也(ミヤ)子と云しは、寄合衆石川兵庫〔四千石〕の生母なり。予久しく相知たるが、貞操温順なる質にして又和哥を好めり。年七十餘にして身うせぬ。其後久くして石川氏を訪て語、此人の事に及ぶ。石川曰、三也、常に櫻花を愛せり。年老て後、身のよしある寺院の中に、沒して葬るべきの地を卜し、櫻樹を植てあらかじめ墓標とし、且花時には毎に其下に在て、之を賞觀す。又其詠あり。
春毎に咲べき花をたのみつゝ
とはれむ種をけふぞうへける
予其志の優なるを聞て、益々追悼に堪ず。因しるして後に傳ふ。
■やぶちゃんの呟き
私はこの小話が何故か好きだ……みやこさんが確かに瞼の裏に浮かんでくるのである……
「寄合衆」は三千石以上の上級の旗本の内で無役の者及び布衣以上の退職者(役寄合)の家格を「旗本寄合席」と呼称したが、その地位家格集団全体を指す語。参照したウィキの「旗本寄合席」によれば若年寄支配とある。但し、交代寄合(江戸定府の旗本寄合に対して参勤交代を行う寄合)は旗本寄合席に含まれ、寄合御役金を支払うものの老中支配であるとし、幕末には交代寄合を含めて百八十家があったとある。また、『旗本の家格にはほかに高家・小普請組がある』と記す。
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