今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 95 鳩の聲身に入みわたる岩戸哉
本日二〇一四年十月 十一日(当年の陰暦では九月十八日)
元禄二年八月二十八日
はグレゴリオ暦では
一六八九年十月 十一日
この日、芭蕉は中山道の宿駅とし知られた美濃國不破郡赤坂町(現在の大垣市赤坂町)にある金生山(きんしょうざん)山頂の真言宗金生山明星輪寺宝光院を訪ねている。同寺は明暦三(一六五七)年に大垣藩藩主戸田氏信によって戸田氏祈禱所とされて大いに賑わっていた。境内には奇岩怪石多く、本堂である奥ノ院は洞窟を内陣に取り込んだ造りとなっていて、そこに役行者作と伝える虚空蔵菩薩を本尊として祀っている。
赤坂の虛空藏にて
八月廿八日 奥の院
鳩の聲身に入(しみ)わたる岩戸哉
[やぶちゃん注:「漆嶋」(白川編・宝永三(一七〇六)年自序)に載る。幽邃寂寞の山寺の鳩の「しみわたる/岩戸」に芭蕉が山寺の蟬の静寂をフラッシュ・バックさせていることは間違いない。山本健吉氏は本句を藤原俊成の名歌「夕されば野べの秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」のインスパイアとされ、『身に沁む鶉の声は、俊成の名歌で一般化した。芭蕉がここで鶉を鳩に変えたところが新しみといえば新しみであろう』と評しておられるが、果たしてそんなもんか? じゃあ、何故、「閑かさや」の評釈で鶉を蟬に変えたと評されないのであろうか? 凡愚な私には訳がわからないね。]
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