橋本多佳子句集「海彦」 長崎行(Ⅱ)
長崎崇福寺三句
仏花としてアマリヽスの花八方向く
僧苑や咲く罌粟散る罌粟罌粟に充ち
河間氏累代の墓あり
一族の墓乾く泉遠く遠く
[やぶちゃん注:「崇福寺」は「そうふくじ」と読む。ウィキの「崇福寺」によれば、『長崎県長崎市にある黄檗宗の寺院。大雄宝殿と第一峰門は国宝建築である。興福寺・福済寺とともに「長崎三福寺」に数えられ』、寛永六(一六二九)年に『長崎で貿易を行っていた福建省出身の華僑の人々が、福州から超然を招聘して創建。中国様式の寺院としては日本最古のものである。福建省の出身者が門信徒に多いため福州寺や支那寺』と称せられたとある(但し、最後の部分には要出典要請が掛けられてある)。
「河間氏」は中国から渡来して帰化した唐通事河間氏(本姓は兪(ゆ)で「河間」は本邦での居住地名由来とされる)のことと思われる。
因みに、芥川龍之介がこの寺で詠んだと推定される句がある。
再び長崎に遊ぶ
唐寺(からでら)の玉卷芭蕉肥りけり
旧岩波版全集では、この句の注記として大正十三(一九二四)年九月刊の『百艸』に所収する「長崎日録」の大正十一(一九二二)年五月二十一日の条参照とある。以下に引用する。
五月二十一日
古袷の尻破れたれば、やむを得ずセルの着物をつくる。再び唐寺に詣る。
唐寺の玉卷芭蕉肥りけり
唐寺は唐四箇寺とも呼ばれ、中国様式建築の顕著な崇福寺・興福寺・福済寺・聖福寺の四寺があるが、これはその中で最も古いとされるこの崇福寺と私はみる。]