今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 98 はやはやさけ九日もちかし菊の花
本日二〇一四年十月十六日(当年の陰暦では九月二十三日)
元禄二年九月 四日
はグレゴリオ暦では
一六八九年十月十六日
【その三】同日、恕水亭を辞した後、大垣藩士浅井左柳(さりゅう)亭に十二名が会合、歌仙が巻かれた、その発句。前日の三日に伊勢長島から戻って久々に師弟再会を果たした曾良の日記の四日の条にも『源兵ヘ會ニテ行』とあり、この「源兵」は浅井左柳のことでああることからも日が確定する。
左柳亭
はやはやさけ九日(くにち)もちかし菊の花
はやう咲(さけ)九日も近し宿の菊
有人の方にて
はやくさけ九日も近し菊の花
[やぶちゃん注:第一句は「笈日記」の句形であるが、基準底本とする岩波版「芭蕉俳句集」では「九日」に「ここのか」のルビを振る。採らない。第二句目は「桃の白実」(車蓋編・天明八(一七八八)年刊)の、第三句目は「蕉翁句集」(土芳編・宝永六(一七〇九)年成立)の句形。
言わずもがなであるが、五日後の重陽の節句をいう。左柳は(山本健吉氏は二句目を初案とするのでそれを採る)、
はやう咲九日も近し宿の菊
心うきたつ宵月の露
とあり、山本氏はこの脇の「宵月」がこの歌仙の巻かれたおよその時刻を示していると記しておられる。因みにこの日はまさに宵の始まりである午後六時過ぎに月が沈んでいるから、まさにその「露」余光ということになろうか。
しかしこの菊花への命令形は、芭蕉自身への新たな旅立ちの指嗾(しそう)に他ならない。事実、芭蕉はこの二日後の九月六日、伊勢へ向けて旅立つのであった。
私は第一句の「はやはやさけ」を断然、押す。]
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