杉田久女句集 295 杉田久女句集未収録作品 Ⅰ / 始動
杉田久女句集未収録作品
[やぶちゃん注:以下、句集「杉田久女句集」(角川書店昭和二七(一九五二)年十月二十日刊・文庫判)に所収されなかった句を電子化する。底本は引き続き、一九八九年立風書房刊の「杉田久女全集」を用いるが(当該部は第一巻の『補遺(杉田久女句集未収録作品)』パート)、その冒頭でも述べた通り、確信犯で恣意的に多くの漢字を正字化して示すこととする。総句五百七十六句で、後の昭和四四(一九六九)年角川書店版四六判全集(編年体)は前句集に補遺句数二百四十四句を加えたものと底本書誌解題にあるので、これより電子化する半分を有に超える三百三十二句が、この安くない(二巻セットで本体一万四千円)底本全集を買った人以外には現在まで殆んど知られていない杉田久女の句、ということになる。
以下、冒頭の六十九句にはクレジット標題がない(この次の句群が『大正七年』の柱となっている)。句群の後半部に大正六(一九一七)年一月発行の『ホトトギス』(「台所雑詠」欄)への久女初掲載の句が六句確認出来る(石昌子さんは年譜で五句とされが、坂本宮尾氏の「杉田久女」(二六頁)によれば掲載数は『六句』とあり、そこに引かれた三句の内の一句は年譜引用に載らない句であるので坂本氏の句数を採る)。年譜によれば、小倉にいた久女はこの前年の大正五年の秋に、両親の依頼で当時同居させていた次兄(俳号赤堀月蟾(げっせん)。渡辺水巴門。商社マンであったが俳句への傾倒著しくそれを心配しての措置であったかと思われると年譜にはある)の手解きを受けて句作を始めている(さすればミイラ取りがミイラということにもなる)とあるから、この前半の句群は大正五年秋から年末への数ヶ月の作かと一応考えてよいであろう。久女の杉田宇内との結婚は先立つ八年七年前の明治四二(一九〇九)年八月で、この大正五年八月には次女光子も生まれ(長女昌子は既に五歳)ていた。この時、久女二十六歳。]
初凪や内海川の如く酒庫の壁
初凪や船に寢て今日も陸地なし
小唄やめて臼只ひけり土間の冬
炭の粉を寒菊に掃く箒かな
先つんで捨てたる葱の寒の雨
蜜柑送るに蒲鉾板をけづり書きし
韮炊くや夜寒灯に居りし兒はいねぬ
知らで踏む小草の花や春淺き
新しき柄杓の木香や水温む
薪濡れて燃えぬ竈や春の雨
宴はてゝ膳あらふ灯や若葉雨
拭巾白く干しつらねたり若葉かげ
もぎたての茄子色濃さや桶に浮く
茄子苗を買うて伏せ置くめざるかな
庖丁とぐや無花果の葉に夕立うつ
修理して厨明るき若葉かな
井側替へて靑桐に木の香新しき
[やぶちゃん注:「井側」老婆心乍ら、「いがは(いがわ)」と読む。井戸側のこと。日常的に使う漢字であるが、あまり理解されているとは思われないので注しておくと、「側」には単なる対象の傍ら・そば・横脇の謂い以外に、曲面を成す対象物のその周囲又はその周囲を包んでいるものの意味がある。]
色白く肥えて婢美し茄子畑
[やぶちゃん注:「婢美し」は「ひはし」と訓じているか。「婢」は「はし」の訓もあり音数律も合うが、どうも私には「はしはし」ではしっくりこない。私の読みでは中七字足らずとなるが詠んだ際、少なくとも私には抵抗感がなく、「婢」の後のブレイクが映像的にも鮮烈である。私はこの句が好きである。]
桑の海にふりそゝぐ日や暑し
[やぶちゃん注:破調で面白い。]
手づくりの初なりの茄子や夕の膳
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