北條九代記 卷第六 泰時仁政 付 大江廣元入道卒去
○泰時仁政 付 大江廣元入道卒去
嘉祿元年十一月に賴經八歳になり給ふ。既に御元服ましまし、同二年正月に正五位下に叙し、右近衞〔の〕少將に任じ、征東大將軍に補(ふ)せらる。武威四海に輝き、門葉(もんよう)六合(りくがふ)に昌(さか)えて、京都、鎌倉共に静謐の聲豐(ゆたか)なり。武蔵守泰時、愈(いよいよ)廉讓(れんじやう)の道を行ひ、倹約を以て世を惠(めぐ)まれける。故に上下賑ひ、悦合(よろこびあ)へり。大名小名、在鎌倉の輩、身躰不足(しんだいふそく)の事あれば、金銀、米穀を借賄(かしまかな)ひ、是を辨(べん)ずる事も叶はず、疲勞に及ぶ事あれば、所領、家居の好惡(かうあく)を聞屆(きゝとど)け、借狀(しやくじやう)を破りて與へられ、自(みづから)謙(へりくだ)つて、禮義(れいぎ)を守られける程に、人皆、懷(なつ)き奉り、拜趨(はいすう)の志、上部(うはべ)ならずに隨付(したがひつ)きて、この人の御事ならば身命を捨てても惜(をし)からすとぞ思はれける。同六月に大江康元入道覺阿、卒去せらる。行年(かうねん)八十三。右大將賴朝卿より以來(このかた)、何事に付けても武家御政務の談合人(だんがふにん)なり。心、直(すなほ)にして欲をはぶき、智、深くして慮(おもんぱかり)、遠く、慈悲ありて、心志(しんし)猛(たけ)からず、末世の賢者と云はれし人なり。臨終に至るまで、心、更に正しく、老耄(らうもう)の氣(け)もなし。常にはさもなく見えたりしが、臨終には念佛高(たからか)に唱へ、西に向ひて手を合せつゝ、坐(ざ)しながら往生せらる。貴(たつと)かりける御事なり。相摸守時房、武蔵守泰時、二位禪尼を初め參(まゐら)せて、力を落し給ひ、貴賤、皆、惜まぬ人はなかりけり。法華堂に葬送して、故右大將賴朝卿の御墓(おんはか)の傍(かたはら)に埋(うづ)まれたり。數代多年の舊好(きうかう)、忠義廉讓の德用にや、大名小名、送(おくり)の人々、幾何(いくら)とも數知らず。諷經(ふぎん)の俗衆、巷(ちまた)に盈ちて、墓所の邊(あたり)に餘(あまれ)り、中陰の弔(とぶらひ)、武蔵守より營まる。愁傷の色を顯されけり。
[やぶちゃん注:「吾妻鏡脱漏」の嘉禄元(一二二五)年十二月二十九日及び嘉禄二年一月十日、同「吾妻鏡脱漏」の嘉禄元年六月十日に基づく。記載が前後しているので注意(広元の逝去の方が先)。引用は特に必要と認めない。
「嘉祿元年十一月」藤原頼経は建保六(一二一八)年一月十六日生まれであり、そもそもが当時は数えであるから一月とするべきところである。以下、彼は記載通り、嘉禄二(一二二六)年一月二十七日に正五位下に叙され、右近衛権少将に任官、征夷大将軍の宣下(「吾妻鏡脱漏」の嘉禄二年一月十日の条には『御任官幷征夷大將軍宣下事等。以信綱依可被申於京都。今日被調御書。』(御任官幷びに征夷大將軍宣下の事等、信綱を以つて京都に於いて申さるべきに依つて、今日、御書を調へらる。)とある)を受けた。次注も参照のこと。
「元服」「吾妻鏡脱漏」によれば頼経の元服の儀は嘉祿元(一二二五)年十二月二十九日である。
「六合」天下。天と地の上下と東西南北の六つの方角。六極(りっきょく)。
「廉讓」清廉で、よく人に譲って謙虚であること。
「身躰不足」生活費や資産の不足。
「是を辨ずる事も叶はず、疲勞に及ぶ」借りた金銀・米穀を返納することが出来ず、さらにひどい困窮に陥るに至る。
「所領、家居の好惡を聞屆け」所領及び自邸周辺での評判や噂の良し悪しを調べさせて(それが悪くない場合には)。
「拜趨」謙譲語。高貴な相手の所へ出向くことを遜っていう。参上。
「同六月」大江広元の逝去は嘉禄元(一二二五)年六月十日。「吾妻鏡脱漏」の記事は簡略で、死因として『日來煩痢病』(日來(ひごろ)、痢病(りびやう)を煩ふ)とあり、消化器系疾患であったことが窺われる。
「行年八十三」これは「尊卑分脈」によるもので、そこでは生年を康治二(一一四三)年とする。但し、現在は「吾妻鏡」「鎌倉年代記」「関東評定伝」などが皆、享年七十八歳とすることから一般には生年は逆算によって久安四(一一四八)年とされる。
「二位禪尼を初め參せて、力を落し給ひ」私は拙作「雪炎」(PDF縦書版はこちら)でも描出したが、頼朝亡き後、政子と広元との間には恋愛関係があったと考えている(ブログ記事「太宰治 右大臣實朝(やぶちゃん恣意的原稿推定版)」などを参照されたい)。
「諷經」「ギン」は唐音。経文を声を出して読むこと(対義語は「看経(かんきん)」)で、狭義には禅宗で仏前で勤行することを指す。
「中陰の弔」四十九日。中有(ちゅうう)。死者があの世へ旅立つまでのプレ期間で、死者が生と死(陰と陽)の狭間にあることから中陰と称する。]
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