萩原朔太郎 短歌 全集補巻 「書簡より」 (Ⅱ) + 一首
朝行くに人目涼しき濱や濱小ぐつ玉靴玉漣のあと
えにし細う小き砂にたゞ泣きぬ歌は名になき濱のおぼろ月
夏さむう歌もたぬ子の罪とはぬ君に上總の興は語られぬ。
[やぶちゃん注:明治三五(一九〇二)年八月十三日消印萩原栄次宛葉書より。投函地は同じく一ノ宮青松館。書簡末尾には『八月十二日夜』とクレジットされている。底本の短歌補遺パートの『書簡より』では第一首目を採っていない。これは、『坂東太郎』第三十四号(明治三五(一九〇二)年十二月発行)に掲載された、
朝ゆくに人目凉しき濱や濱小靴玉靴漣のあと
と相同歌と考えたからであろう(底本の書簡ではこの「玉漣」の「玉」の右に、前の「玉靴」の「玉」の衍字と判断する意味の傍点が附されてある)。但し、「ゆくに」「小靴」の表記が異なり、何よりもこの書簡の方が『坂東太郎』より先行するので初出としてこれは採るべきであると私は判断した。そもそも「玉漣」も確かに衍字が深く疑われるとはいえ、これをこう書いて「玉漣(さざなみ)」と読ませようとした可能性を誰も排除は出来ないというのも私が採用した今一つの理由でもある。
二首目は、「ソライロノハナ」(推定で大正二(一九一三)年四月頃、朔太郎満二十七歳の時の製作)の「若きウエルテルの煩ひ」歌群の三首目に出る、
ゑにし細う冷たき砂にたゞ泣きぬ
戀としもなき濱のおぼろ月
の類型歌であるが、かなり異なる(「ゑにし」はママ)。三首目末尾の句点はママ。この短歌が本文の最後であることによるものと思われるが、暫くそのままとしておく。]
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