『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 高松寺 / 來迎寺
●高松寺
報恩寺舊蹟の向ひ東北の谷にありて。西御門の内なり。壽延山(じゆえんざん)と號す。法華宗なり。寛永十九年八月。水野淡路守重良太平廢寺跡に就(つい)て起立す。追福(ついふく)の爲に創建せしなり。住職第一世は重良か幼女にて日隆尼と號あり。二世は隆か俗妹にて日祐尼と云ふ。三世日宗か時より世々(よゝ)男僧住職す。
[やぶちゃん注:本誌発刊当時は現存した。「鎌倉廃寺事典」によれば、関東大震災で全壊し、昭和六(一九三一)年に宮城県栗原市若柳字川北原畑に移転、同所に現存する(ネット上の日蓮宗公式サイトで確認)。この移転の際、日祐尼の墓は現在、笛田の博物館常盤山文庫に移築されている模様である。]
●來迎寺
來迎寺は高松寺の南隣にあり。時宗一遍上人が開基にて藤澤の淸淨光寺の末寺なり。
[やぶちゃん注:ここの本尊如意輪観音は私が鎌倉で最もエクスタシーを感ずる仏像の一つである(今一つは浄光明寺の上品中生印を結ぶ阿弥陀像である)。今は豪華な仏殿でおごそかにましましてしまっているが(グーグル画像検索「鎌倉 来迎寺 如意輪観音」をご覧あれ)……
……私が十九の冬に訪れた時……
……小さな、本当に小さなそのお堂は、普通の町家の家のようで、その中で近隣のお婆さんたちが五、六人集まって、楽しそうに世間話をしていた……
……そのお婆さんたちのすぐ背後に、普通の家の仏壇のような凹んだ棚があり、そこに如意輪観音は座っておられた……
……まさに目の前に……
……その半跏思惟の、滑らかな腕や、ふくよかな脚……
……今にも私の胸の中にしだれかかってきそうな、その顔を拝した時……
……お婆さんの一人が、笑いながら言った……
「……お兄さん、よーぅ、見てって下さいねぇ……」
……私は何故か……
……不思議に……
……顔が赤くなるのを覚えた……
……お婆さんたちから蜜柑と和菓子をたくさん貰った……
「私は夕暮れの坂を――下りました」……]
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