日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 出初式
十二月上旬、東京市の各消防隊が集って、検閲を受けた。火事の半鐘が鳴り、消防隊は大きな広辻に集り、そこであらゆる種類の軽業(かるわざ)を行う。彼等は梯子を登り、競走をやり、その他の芸当をやり、非常に巧みに見えるが、実際の職務に当っては、勇敢なことはこの上なしであるが、外国人には、非常に能率的であるとは思われない。だが、彼等の問題は、我国の消防夫のとは非常に相違しているのだから、審判を与えることは公平ではない。日本の消防夫は、大火の道筋に当る建物を引き倒し、それを行いつつある者に水をあびせかけ、而もそれ等すべてを極めて急速に行うことを命ぜられている。
[やぶちゃん注:出初式であるが、少し気になるのは、モースが「十二月上旬」と記している点である。ウィキの「出初式」によれば、明治七(一八七四)年に『東京警視庁が設けられ消防組は東京警視庁安寧課消防掛の所属とな』り、翌明治八年一月四日に、『すべての消防組が八代洲町の東京警視庁練兵場に集結』して、第一回の『東京警視庁消防出初式が行われた』とあるからである。以下、出初式の様子は三代目歌川広重により錦絵となり、『纏を持って整列する消防組の姿・赤く塗られた消防ポンプ・梯子乗りの披露などが描かれ』、『この出初式が、現在行われている東京消防出初式(東京消防庁主催)の前身である』とあり、しかも第二回となる明治九年一月四日の出初式は、『御所御車寄せの広場にて開催され』て、明治天皇が臨席、これ以降も毎年一月四日に出初式が開催されていったと明記されているからである。これはモースの記憶違いではなかろうか? 叙述もここで正月からまた十二月初旬まで一月戻ってしまうのもおかしい。なお、モースは火事場の野次馬となるのが好き(「日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第四章 再び東京へ 15 隅田川川開きのその夜起った火事の火事場実見録」)なのであるが、火を消すのではなく、燃えて延焼の元になってしてしまいそうな物を徹底的に引き剥がして壊すという本邦の「火消し」への理解がやや(プラグマティクには不満を持ちながらも)深まっているところが興味深い。]