『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 わめき十王窟
●※十王窟[やぶちゃん注:「※」=「口」+「盡」。]
※(わめき)十王窟は村北山上の巖窟(がんくつ)を云ふ。中央に血盆地藏左右に如意輪觀音と閻王(ゑんわう)の像を彫れり。※十王の事傳へなければ詳(つまびらか)にし難し。
[やぶちゃん注:「鎌倉攬勝考卷之九」の「岩窟」に、
※(わめき)十王窟(やぐら) 西御門村の山のうへ岩窟の内に、佛像三軀を掘たり。古き物に見へ、中尊は血盆地藏、左の方は如意輪觀音、右の方は閻魔なり。何ゆへに十王の窟といふにや。其像定かに分ちがたし。王冠をいたゞきたるを見て閻魔といふ歟。又※十王と名附し由來しれず。此窟、今は崩れ落て、窟中の佛像かすかに見ゆるのみ。土人の方言に、是等の窟をさして、何々のやぐらと唱ふること、下皆同じ。
とあるのをベースとして書いたものと思われる。この「※」の字は、憤る・怒るの意で、「わめく」とは訓じない。現在、本やぐら(というよりも破損したやぐら奥のレリーフ)は「わめき十王岩」と呼称されており、私は植田の「嘯」(わめく)の字の誤りではないかと疑っている。勿論、十王(事実彫られたものがそうであるかどうかは疑義があるが)であるならば、忿怒相で声を立てるなら、「※」とはなろうが、あくまで字訓に拘るなら、「※十王岩」なら「いかり十王岩」である。「血盆地藏」とは聞きなれない地蔵である。「血盆」は目連尊者が見たという血の池地獄に関わって、特に出血に関わる女性について書かれた偽経である「血盆経」のことを指すから、その経に基づいて形象された地蔵像であることを指すか。但し、インターネットの検索では「血盆地蔵」は本「鎌倉攬勝考」のここの引用以外に全く見当たらない。識者の御教授を乞う。因みに現在では、夜になると苦しみ喚く人の声がこの岩辺りから発せられたから、こう呼称すると伝承される。私はその昔、この尾根上の十王岩の前に、晩秋の夜六時、真っ暗闇の中に、ある女性といたことがある。しかし、わめき声は残念ながら聞こえなかった。一般には崖を何層にも亙って穿った間隙の多い百八やぐら群を抜ける風の音がそう聞こえたものではなかったろうか。リンク先には図も載るので参照されたい。]
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