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2014/10/05

芥川龍之介 手帳 1-8

《1-8》

 

witch の所へ二人の仲を separate する事をたのみにゆく witch は女の母

[やぶちゃん注:何となく後年の「アグニの神」や「妖婆」が浮かぶが、設定が孰れもここに出るものとは全く一致しない。もしかするとこれは予定していたとも言われる原「偸盗」の続編の中の一要素だったのかも知れない。]

 

○妻爭ひも入れるべし 刀とか玉とかをとつたものの妻になると云ふ所

[やぶちゃん注:王朝物の詩作であろうが、近侍するものはない。後の「藪の中」の多襄丸の証言に現われる主張にやや似ないことはない(というより、黒沢明の「羅生門」の杣売が明らかにする真相版の真砂の主張とよく一致するとは言える)が、直接の関係性は認められない(死と引き換えの要素がこのメモには感じられないから「袈裟と盛遠」なども除外される)。もしかするとこれも原「偸盗」の続編の中に投げ込むつもりだったのかも知れない。]

 

○女がにげてくる 男がおつてくる それをたすける それが緣になる さてあつて見ると女は前の男と一しよになつてゐる

[やぶちゃん注:「藪の中」の構造とやや似て見えるのは、シノプシスだからに過ぎまい。但し、ここには芥川龍之介が秀しげ子と南部修太郎との三角関係の中で後年持つに至り、「藪の中」で噴出したところの、ある種の女性に対する猜疑的な嫌悪感情の前駆的認識(厭人的症状と言ってもよい)が示されているようにも思われないことはない。]

 

○青砥左エ門尉藤綱 時賴(二階堂信濃入道)

[やぶちゃん注:多くのエピソードで知られる青砥藤綱を芥川龍之介も小説素材として見逃さずにいた。知られた話柄は私の「耳嚢 巻之四 靑砥左衞門加増を斷りし事」などを参照されたいが、芥川はこれら以外に「北条九代記」(後注参照)の「巻之八」に出る「相模守時賴入道政務 付(つけたり) 靑砥左衞門廉直」の話をカップリングしようと思っていたのではあるまいかと考えている。これは――時頼が三島神社を参詣してその帰り、片瀬川を渡渉するその川中で一行の荷を引いていた牛が放尿をする。それを見た藤綱が牛に向かって「お前は守殿(時頼)が催された御法要ようなことをして呉れたもんじゃ」(日照りで作物は不作なれば牛の尿(いばり)が無駄に海に流れたことを指しつつ、同時に時頼が直近に催した春の法会で奢れる僧を豪奢にもてなしたことを揶揄している)と述べて彼の才能を見抜き、重用したという部分である。この話柄が最も時頼を引き出す格好の一話だからである。しかし敢えて言わせてもらうなら、青砥藤綱の話はどれも如何にもな教訓臭が濃厚なもので、芥川龍之介好みとは必ずしも思われない。寧ろ、芥川は「黄梁夢」のように原話を反転させてしまうような話柄をそこに構築しようとしていたのではあるまいか? それなら、読んでみたかったという気がする。なお私の鎌倉史の知見からいうと、青砥藤綱の実在性は頗る疑わしく、私は仮想人物と一貫して考えている。特に老獪にしてどうも好きになれない時頼には、こういうぶっとんだ潔人忠臣譚がよりよき執政者の伝説を形成するために、どうしても必要であったのだと思う程度である。]

 

○紬布(サミ)の直垂   乾魚}

○布の大口        燒鹽}

[やぶちゃん注:「乾魚」と「燒鹽」の下の二つ「}」は底本では大きな一つで両方を括っている。本二行はそういう意味でも同時に併記された素材と考えてよいので行空けをしなかった。

「紬布(サミ)」読み不審。「紬」(つむぎ)の読みに「さみ」という読みは見当たらない。識者の御教授を乞うものである。

「大口」は「おほくち(おおくち)で、「大口袴(おおぐちばかま)」のこと。裾の口が大きく開いた下袴で、平安以降、公家が束帯の際に表袴(うえのはかま)の下に用いた。紅または白の生絹(すずし)や平絹(ひらぎぬ)・張り帛(はく)などで仕立ててある。鎌倉時代以後は武士が直垂・狩衣などの下に用いた。

 この括弧表記は面白い。これは恐らく彼が考えた王朝物のワン・シーンの、セットで用いようとした小道具と衣裳のリストなのである。次の一行もそうであろう。]

 

○弦袋のついた木太刀

[やぶちゃん注:「弦袋」弦巻(つるまき)。切れた際の掛替用の予備の弓弦(ゆづる)を巻いておく籐(とう)製の輪のこと。それが木太刀の柄部分にセットされているもの、というより、木立の滑り止めということであろう。まさに時代劇の映画の小道具部屋を見るようではないか。]

 

○時政△ 義時△△ 泰時 經時 時賴 時宗△ 貞時 師時 高時

[やぶちゃん注:この「△」の意味はよく分からないが、私はこの北条執権の並びは間違いなく、「北条九代記」の九代、北条時政から高時に至る鎌倉幕府を実質支配した北条得宗家九代(時政①・義時②・泰時③・時氏・経時④・時頼⑤・時宗⑧・貞時⑨・高時⑭。名前の後の数字は執権次第で時氏は二十八歳で早世しており執権になっていない)をメモしようとしたものと考えてよい。但し、「師時」は誤ったのである。師時は得宗家ではない。父は第八代執権北条時宗の同母弟北条宗政であった(但し、彼は父の死後に伯父時宗の猶子となっており、後に引付衆を経ずに評定衆となるという得宗家一門と赤橋家嫡男のみに許されていた特権的昇進をしており、一方で彼は『北条氏庶流というより得宗家の一員と見なされていた』(ウィキの「北条師時」より)ことからはとんでもない誤りとは言えない)。このことからも私は芥川龍之介のこの辺りの素材メモの発信源としても「北条九代記」を挙げたくなるのである。なお、同書は頼朝・頼家・実朝の源家三代将軍の事蹟(巻第一から巻第四)及び、以上の北条得宗家九代を中心に鎌倉幕府の興亡を物語風に語った記録で、全十二巻からなり、延宝三(一六七五)年に初版が刊行されている。著者は不詳とされるが、江戸前期の真宗僧で仮名草子作家として著名な浅井了意(慶長一七(一六一二)年~元禄四(一六九一)年)が有力な候補として挙げられている(私自身は彼が真の作者だと思っている。現在、私は同書の電子化注釈をで進行中である。よろしければ来訪されたい)。]

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