耳嚢 巻之九 歌にて狸を伏する事
歌にて狸を伏する事
駿河臺深屋氏、和歌を好みて折節歌の會などありしが、厩(うまや)へ度々狸出て馬を煩しふせし。其外時々近邊にていろいろの事あるといひしを、呪(まじなひ)の守りを人の與へけるゆゑ厩にはりければ、厩へはたえて不出(いでず)、其續(つづき)の中間長屋に中間計(ばかり)うまく寢たりしを狸來りて苦しめけるを、傍輩中間眼覺(さめ)て是を見出し、例の狸來れりと傍輩を起し捕えんとせしが、棒やうの物も不持(もたざれ)ば、喰付(くひつき)などして終に取逃(とりにが)しぬ。其あくる夜、彼(かの)いちはやに起て傍輩を起し捕えんとせし中間、殊外(ことのほか)うなされくるしみければ又候(またぞろ)來りしと、いろいろなせど捕得(とらへう)る事なし。横田袋翁、歌よみて此歌もて呪にし給へとて、
心せよ瀨々のやはらたぬき川の水馴れてこそは身も沈なれ
かく詠じ與へしが、其後は狸出ざりしとや。
但し瀨々のやはら田、またぬき川の事、
催馬樂(さいばら)の唄にて、源氏のう
ちにも、書記(かきしる)しあると、人
のいゝき。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。妖狸の和歌による呪(まじな)い封じ譚。
・「深屋氏」底本の鈴木氏注に、『深谷であろう。寛政譜に同姓四家ある。(深屋はない)』とある。
・「心せよ瀨々のやはらたぬき川の水馴れてこそは身も沈なれ」総て平仮名で読むと、
こころせよ せせのやはらた ぬきかはの みなれてこそは みもしづむなれ
である。「催馬樂」(平安初期頃に成立した歌謡の一つで、上代の民謡などを外来の唐楽の曲調にのせたもの。笏拍子(しゃくびょうし)・笙・篳篥・竜笛・琵琶・箏を伴奏とすし歌詞は律二十五首、呂(りょ)三十六首が残るものの、曲は室町時代に廃絶、現在は十曲ほどが復元されているの留まる)の内の「貫河」の詞章に、
貫河(ぬきかは)の 瀨々の 柔(やは)ら手枕(たまくら)
柔らかに 寢る夜はなくて 親放(さ)くる夫(つま)
親放くる 夫は まして麗(るは)し
しかさらば やはぎの市に 沓(くつ)買ひに行(か)む
沓買はゞ 線鞋(せんがい)の 細敷(ほそしき)を買へ
さし履きて 上裳(うはも)とり着て 宮路(みやぢ)通はむ
の一段目に基づく。「夫」は妻。「線鞋」は平安時代の沓の一種で、麻などを素材にした紐で結ぶもの。中国伝来で子供や婦人が用いた(グーグル画像検索「線鞋」)。「細敷」は靴の底の幅の狭いものをいう。「やはぎの市」は三河国の矢作川流域か。「宮路」は「催馬楽wiki」の「全催馬楽曲解説/ぬきかは」には『古注釈は宮路を三河国にある宮路山を想定する』とある。リンク先には以下のような訳が載る(一部表記を変更させて貰った)。最初の二段が恋い焦がれる男、最後の三段目のみがそれに応えた女の歌である。
貫河の 逢瀬のたびの 柔らかな腕枕で
穏やかに 寝る夜もなくて 親が遠ざけてしまう彼女
親が遠ざける 彼女は 一層美しい
それならば やはぎの市に 一緒に沓を買いに行きましょう
もし沓を買うなら 線鞋の 細敷を買って
私はそれを履いて 上裳を着て 宮路を貴方の元へと通いましょう
本話の狂歌は、この第一段の「せせのやはらた(まくら)」の部分(この引用は以下に示したように「源氏物語」の引用をインスパイアしている)を題名の「貫河」に掛けて「ぬきかは」と読み、しかもそこに「たぬき(川)河」を諧謔したもので(底本の鈴木氏注は『誤解したもの』と述べるが、これ、ちょっと誤解しようがないと私には思える)、岩波版長谷川氏注では、『水に馴れて油断をしていると溺れる、狸も調子に乗っていると失敗するぞと』いう警句になっているとある。「ぬき川」(貫河)は岩波版長谷川氏注には『所在不詳』とし、底本の鈴木氏注にでは『貫河は美濃国の伊豆貫川かというが、明らかでない』とする。この「伊豆貫川」は現在の岐阜県本巣市と本巣郡北方町及び瑞穂市を流れる木曽川水系の河川糸貫(いとぬき)川のこと。長良川に合流する一級河川で、参照したウィキの「糸貫川」によれば、『平安時代には鶴の名所として知られた川であり、催馬楽(題:席田)をはじめとして数々の和歌に歌枕として詠まれた。(なおこの時代には席田の「伊津貫川」、「いつぬき川」、「いつ貫川」などの表記となっている。)』とある。
因みに私はこの狸が当初は厩に出現していたこと(河童駒引き)、呪いの狂歌が川に馴れている者が沈んで溺死すると言っていること(河童の川流れ)などから、本話柄の原型の物の怪は元は狸ではなくて河童という設定だったのではないかと深く疑っている。大方の御批判を俟つ。
・「やはら田」この筆者(有意な字下げから見て根岸ではなく、書写をした後世の人物であろう)はこれを地名(若しくは汁田のような水気の多い田圃か畑地か)のようなものと捉えているようにも見える。
・「源氏のうちにも、書記しある」「源氏物語」の「常夏」の帖で、光が玉鬘に和琴を教えるシーンに出る以下の詞章の冒頭を指す。
「貫河の瀨々のやはらた」と、いとなつかしく謠ひたまふ。「親避くるつま」は、すこしうち笑ひつつ、わざともなく搔きなしたまひたる菅搔(すがが)きのほど、いひ知らずおもしろく聞こゆ。
(光の君が「貫河の瀬々の柔ら手(た)……」と、たいそう優雅にお謡いになられる。「親が逢わせぬように遠ざける妻」というところは、少し微笑まれながら、わざとらしくなく、軽々と掻き鳴らしておられる、その菅掻きの音(ね)は、何とも言いようのないほど、美しく聞こえるのであった)。
・「横田袋翁」頻出の根岸昵懇の情報屋。既注。
■やぶちゃん現代語訳
狂歌によって狸を降伏させたる事
駿河台の深屋氏は、和歌を好まれ、折ふし、歌会などを催しておられたが、厩(うまや)へたびたび妖狸(ようり)が出でて馬を患わせたと申す。
その外にもしばしば、御当家近辺にては、これ、いろいろと妖しきことの出来(しゅったい)致すことがあると噂致いて御座ったところへ、それを伝え聴いた深屋氏の知れる御仁が、妖狸除けの呪(まじな)いの御守りを齎したによって、それを厩に貼りおいたところ、厩へは絶えて出でずなった。
ところが、これ、その厩続きに御座った中間長屋の方に移って参り、ある夜のこと、一人の中間が熟睡しておったところに、かの妖狸の来たって、夢見心地のその中間を苦しめて御座った。と、その場にやはり雑魚寝しておったる今一人の朋輩の中間が、その苦悶の声を聴きつけ、目を醒まして、そこ妖狸の影あるを見出し、
「――ヤッ?!――例の狸がまた出でおったぞッ!」
と、かの悶えておった傍輩を起こすと同時に、妖狸を捕えんと致いたところが、たまたまその場には棒のような得物も持って御座らなんだによって、素手で取り押さえんとしたところが、二の腕をしたたかに喰いつかれ、結局、とり逃がしてしもうたと申す。
その明くる夜(よ)のこと、今度は――昨夜いち早く飛び起きて傍輩を起こし、妖狸を捕えんとした、かの中間が――殊の外、魘(うな)され、苦しんで御座ったによって、中間ども、
「……こ、これは……またぞろ来たって復讐をなしておるに違いない!……」
と噂致いたと申す。
そんなことが、何日も続いたによって、いろいろなことをやって妖狸を捕えんとはしてみたものの、これ、一向に捕えること、出来なんだと申す。
それを私も知れるかの横田袋翁(よこたたいおう)殿が小耳に挟み、一首の歌を詠まれて、
「――この歌を以って呪(まじな)いになさるがよろしいでしょう。」
と、深屋氏へ差し上げた。その歌は、
心せよ瀨々のやはらたぬき川の水馴れてこそは身も沈なれ
かく詠じたものが中間どもに下されたが、なんと、それを中間部屋の入り口の柱に、ぺたりと貼ってからというもの、一切、その後は、かの妖狸、出ずなったとか申す。
〔書写者附記〕
但し、「瀨々のやはら田」、また、「ぬき川」のことは、「催馬樂(さいばら)」の唄に出ずるものであって、古くは「源氏物語」の中にも書き記されてあると、とある人の言って御座った。

