今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 100 かくれ家や月と菊とに田三反
本日二〇一四年十月十七日(当年の陰暦では九月二十四日)
元禄二年九月 五日
はグレゴリオ暦では
一六八九年十月十七日
【その二】翌日の伊勢参宮に出発に旅立つに当たって舟が用意されたが、これを世話したのは大垣の俳人谷木因(たにぼくいん)であった。木因は大垣杭瀬川畔で船問屋を生業(なりわい)とする裕福な商人で、北村季吟の門に入って芭蕉とは同門、岐阜蕉門の隆盛にも功あった古馴染みである。以下はその彼の邸宅での一句。出立前夜――「奥の細道」掉尾の前――として、ここに配しておくこととする。
木因亭
かくれ家(が)や月と菊とに田三反(さんたん)
[やぶちゃん注:「笈日記」。
無論、船問屋の木因が田を耕していた訳ではない。富裕乍らも質素倹約を旨とする商人として閑静なる屋敷域を保っている主人の風雅の生きざまを比喩し讃した挨拶句である。
大島蓼太は「芭蕉句解」(宝暦九(一七五九)年刊)に本句を取り上げ、
「山居せハ上田三反味噌八斗小者ひとりに水の能所」と一休禪師詠し給へり。木因ハ美濃大垣の住なり。季吟師の門人にして、芭蕉と友としよし
と記している。山本健吉氏は「芭蕉全句」でこれを引いた後、『頴原退蔵は、昔は上田三反あれば簡素な暮しいは充分としたものだろうと言う』と引き、最後に『一休の歌ではないが水もよく隠棲には格好の住居だという含みがある』と評されてある。菊花にまさにかの陶淵明をも通わせて、木因も受くるに嬉しい句であったに違いない。]