杉田久女句集 287 菊ヶ丘 Ⅱ 一束の緋薔薇貧者の誠より
上京、丸ビルにて
一束の緋薔薇貧者の誠より
[やぶちゃん注:坂本宮尾氏は本句について「杉田久女」で以下のように記されておられる。少し長いが、久女の衝撃と非常に重要な転機の動機を明かす部分でもあるので敢えて引用させて戴く。
《引用開始》
「俳句研究」の昭和十四年七月号「プラタナスと苺」のなかの句である。丸ビルはもちろん「ホトトギス」の発行所である。虚子は箱根丸での渡仏の折が久女に会った最後と記しているから、蕎薇の花束を抱えて発行所を訪れた久女は虚子に会うことができなかった。この上京で久女は同人復帰の可能性も、虚子の序文も絶望的であるということをはっきりと悟ったと思われる。
帰宅後すぐに久女は、「プラタナスと苺」四十二句をまとめた。宇佐神宮、大島星の宮、野鶴の句などと比べるまでもなく、これらの句にもはや全盛期の久女の力がなかったことはすでに見たとおりである。そのことを誰よりもよくわかっていたのは、久女自身であったはずだ。
追い打ちをかけるように、長谷川かな女主宰の「水明」八月号(八月一日発行)に「水明十周年記念行事」の社告が載った。行事のひとつとして「先生の今日までに至る作品の内から代表的の佳品を選つて凡そ八百句を句集に致します。用紙も先年購入してありますので、純日本紙で相当立派なものを出すつもりであります。九月中に出版の予定です」とある。「水明」は長いつきあいの久女のもとにも送られていたはずだ。かつて「東のかな女、西の久女」と並び称されたかな女の豪華句集刊行の予告は、句集出版を熱望して叶わなかった久女にはつらいものであったに違いない。
上京して虚子との関係修復が望めないことを確認し、自身の作句力が衰えて句が輝きを失ってしまったことを実感し、さらにかな女の句集出版予定の知らせが届いたことは、久女に筆を折らせるに充分な打撃であったと思う。
《引用終了》
久女の絶望が如何に深いものであったか、察するに余りあり、また坂本氏のこうした事実背景を知らずに本句に現われた真の久女の心の痛みを理解することは到底出来ない。]