イリューシャの一年以内に死ぬ人間に見えるドッペルゲンガーの話
イリューシャが語る。じきにお迎えが来るウリヤーナ婆さんの話。
……コスチャが口を出す、「おれはまた、萬聖節の時しか、死んだ人には會へないと思つてた」
「死んだ人にはいつだつて會へるよ」と、私の見たところでは、誰よりもよく村の迷信に通曉してゐるらしいイリューシャが確信ありげな口吻で引き取つた、「だけど、萬聖節の日には、その年に死ぬ番にあたつてゐる人なら、生きてる人でも見分けられるつてよ。見たければ、夜、教會堂の玄閲に立つて、じつと街道の方ばかり見てりやいいんだ。さうすると、生きてる人がな、それ、その年のうちに死ぬ人が、道を通り過ぎるんだ。去年は、村のウリヤーナ婆さんが教會堂の玄闊へ見に行つたんだ」
「それで、誰を見たんだい?」とコスチャが好奇心をもつて訊ねる。
「見たとも。初めはずいぶん長いこと、じいつと坐つて待つてたけんど、誰も見(め)えねえし、なんにも聞こえねえ……、ただ犬つころが何處かで、かうして一しきりに吠えてゐる、いつまでも吠えてゐる、そんな氣がするんだ……、そのうちにひよいと見ると、小徑を男の子が襯衣一枚で歩いて來る。ようく見ると、イワーシカ・フェードセーフがやつて來るんだ……」
「あの、この春死んだ子供?」とフェーヂャがさへぎる。
「うん、さうだ。あれがとぼとぼ歩いてて、顏を上げねえんだ……、それでも、ウリヤーナ婆さんには誰だか分かつたんだ‥…、でも、それからまた見ると、今度は婆さんが歩いてる。ウリヤーナ婆さんは一生懸命に見ると――、え、たまげるだらう! ……その道を歩いてる婆さんは自分なんだ。あのウリヤーナ婆さんがな、自分でよ」
「自分でなんて、そんなことがあるもんか?」とフェーヂャが訊ねた。
「ほんとだとも。嘘ぢやねえよ」
「でも、變だなあ、あの婆さんはまだ死なないぢやないか?」
「だつて、まだ一年とたたないもの。見ろよ、あの婆さんはやつと呼吸(いき)をついてるだけなんだから」(「猟人日記」「ビェージンの草原」中山省三郎訳より)
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