北條九代記 卷第六 三浦義村彌陀來迎粧を經營す
〇三浦義村彌陀來迎粧を經營す
伊豆の走湯山(そうたうざん)の住侶淨蓮房は道心堅固の上人なり。年比駿河前司義村が家に來り、後世の事共物語せられ、念佛の貴き義を勸め申さるゝに、義村然るべき宿緣にや彌陀の本願念佛の理を聞(きき)開き、其より後は毎日毎夜珠數搯(つまぐ)りて、念佛しけるが、「安貞三年二月二十一日は彼岸に入の初日なり。日比に承りし彌陀來迎の粧を拜み申さばや。其儀式を眞似給へ。營(いとなみ)は如何にも辨(べん)じ奉らん」と望み申す。淨蓮房「其こそ最易(いとやす)かるべけれ」とて、鎌倉三崎の海上に十餘艘の舟を浮べ、舟の幕には紫雲の棚引ける色を染めて、舟毎に走(はしら)し、金銀の金物(かなもの)、五色の綵(いろどり)、宛然(さながら)七寳(はう)莊嚴(しやうごん)の有樣、舟は見ながら極樂世界も此所(こゝ)に移すかと怪(あやし)まる。幡(はた)、天蓋には靑龍(しやうりう)、金鳳(きんほう)、孔雀、迦陵頻(がりようびん)を造りて付けたれば、雲に輝き、風に翻り、奇麗微妙(みみやう)の有樣なり、既に申刻計(さるのこくばかり)に將軍賴經公、御舟に召されて、磯近く、碇を下(おろ)し、御供の人々は小船數百艘、その後(うしろ)に浮べたり。三浦駿河前司を初(はじめ)て渚の方に出でらるれば、鎌倉中の見物の貴賤、男女は野にも山にも充滿(みちみち)たり。かゝる所に沉檀名香(ちんだんめいかう)の匂(にほひ)、濱風に乘りて、四方に聞え、異香(いきやう)熏(くん)ずとは是なるべし。十餘艘、来迎の舟は沖中(おきなか)より漕寄(こぎよ)する、管絃の響(ひゞき)、漸々(ぜんぜん)近くなり、折節、空、晴(はれ)、風、靜(しづか)に、波もなき海の面(おも)に漕居(こぎす)ゑたり。金銀五色の作花(つくりばな)を絲にてや操りけん、舟の上に翩々(へんぺん)として、四方に亙りて降るが如し。絲竹の聲頻(しきり)なるに、内々仕立てて定めたりしかば、其役々(やくやく)の輩、菩薩の姿に出立ちつゝ、観世音菩薩、紫金臺(しきんだい)を差寄(さしよ)せて、舟の面に現れたり。舟は二階に拵へ、幕は下に張りたれば、紫雲の上に立つが如し。その次に、勢至菩薩、合掌して現れたり。又、中央に阿彌陀如來の立ち給ふ。紫磨黄金(しまわうごん)の粧(よそほひ)は塋出(みがきいだ)せる金(こがね)の山、邊(あたり)を拂(はらひ)て見え給ふ。其後(うしろ)には山海惠(さんがゑ)菩薩の鞨鼓(かつこ)は此土不二(しどふに)の音をなし、日藏王(にちざうわう)菩薩の玉の笛の音(ね)、聲澄(す)みて、月藏王(ぐわつざうわう)菩薩の瑠璃の琴は無漏實相(むろじつさう)と響くらん。藥王菩薩の琵琶の音(ね)は眞如平等(しんによびやうどう)の調(しらべ)あり。獅子吼(ししく)菩薩の篳篥(ひちりき)は淸淨究竟(しやうじやうぐきやう)の聲すなり。虛空藏菩薩の方磬(ほうけい)は常住凝然(じやうぢうげうねん)の法(のり)を説き、陀羅尼(だらに)菩薩の笙(しやう)の音には禪定正智(ぜんぢやうしやうち)の德を唱ふ。徳藏(とくざう)菩薩の大鼓(たいこ)の響(ひゞき)は内證發覺(ないしようほつかく)の理(り)を演(の)べたり。その外、普賢(ふけん)菩薩の大悲の曲、三昧(まい)王菩薩の利智(りち)の歌、華嚴王(けごんわう)、定自在王(ぢやうじざいわう)、法自在(はうじざい)、大自在王(じざいわう)、金光藏(こんくわうざう)、金剛藏(こんがうざう)、白象王(びやくざうわう)、衆寶(しゆはう)王、日照(につせう)王、月光王、大威德王、無邊身薬(むへんしんやく)王とて、總て二十五の菩薩の取々の舞樂は、心も詞も及ばれず。只今、西方の極楽へ迎取(むかへと)らるゝ心地して、見物の諸人は隨喜の涙を流しけり。空に響く調(しらべ)には天人も影向(やうがう)し、海に渡る唱(となへ)には龍神も出現して、この營(いとなみ)をや助くらん。夕陽(せきやう)に映じては光明遍照(こうみやうへんぜう)の義を現(あらは)し、朝水(てうすゐ)に映りては發菩提心(ほつぼだいしん)の想(さう)を勧む。時移り、事去りて、來迎の舟は隱々(いんいん)として、汀を指して漕隱(こぎかく)るれば、貴賤男女も立歸る。將軍は還御あり。駿河前司義村は大造(たいざう)の経營、異故(ことゆゑ)なく願望を遂げたり。有難かりける事共なり。
[やぶちゃん注:「吾妻鏡」巻二十七の寛喜元・安貞三(一二二九)年二月二十一日の記事に基づくが、以下に見るように原文の凡そ僅か百字余り、書き下しても百五十字に足りない短い記載を、実に千百五十字を超える、凡そ八倍から十一倍の分量に粉飾して、海上来迎の絢爛たる絵巻を異様とも言えるマニアックな筆致で描いている。なお、注意して戴きたいが、前の条とこの条では御所の位置が変わっている。大倉幕府は嘉禄二(一二二六)年に若宮大路東側(小町大路西側の現在の一の鳥居近く。宇都宮辻子幕府などとも呼称される)に移転しているからである。
「三浦義村彌陀來迎粧を經營す」「三浦義村、彌陀來迎(みだらいがう)の粧(よそほひ)を經營(けいえい)す」と読む。
「走湯山」現在の静岡県熱海市伊豆山(いずさん)にある伊豆山神社の古名。修験道の始祖役小角は伊豆大島へ配流された折りにここで修行し、弘法大師空海の修行伝承もある霊場で、源頼朝が伊豆に配流された際にはここで源氏再興を祈願、有力豪族の伊東祐親に追われて当社に身を隠したり、北条政子との逢瀬の場とするなど頼朝とは関わりが非常に深く、頼朝は開幕後すぐに箱根とともに当社を「二所(にしょ)」と称し、幕府の最高の崇敬を示す「關八州鎭護」として多くの社領を寄進している。明治維新の神仏分離令によって寺を分離して伊豆山神社と称するまでは天台宗や真言宗と関わりの深い神仏習合の神社で、主に高野山真言宗である般若院の別当寺が伊豆大権現と等しく祀られていた(以上はウィキの「伊豆山神社」に拠った)。
「鎌倉三崎」の「鎌倉」は三浦とすべきところ。
「幡」梵語“patākā”(パターカー)の音写。音で「バン」とも呼ぶ。仏・菩薩の威徳を示すための飾りの荘厳(しょうごん)具の一つ。大法要や説法などの際に寺院の境内や堂内に立てるもので、三角形の首部の下に細長い幡身(ばんしん)をつけ、その下に数本の「あし」を垂らしたもの。
「天蓋」荘厳具の一つ。仏像や住持などが着座する上方に翳したり、吊ったりする絹張りの笠。瓔珞(ようらく)・宝珠・幡(ばん)で飾られる。船中に高い柱を立てて背後からぶら下げたのであろう。
「迦陵頻」「かりょうびんが」とも。表記は「歌羅頻伽」「羅頻伽」などとも書く。梵語“Kalaviṅka”(カラヴィンカ)の音写。漢訳では「妙声」「好声」「美音」など。仏教で極楽にいる美しい声(その美声は仏の声の形容とされる)の想像上の鳥とされ、顔は人間の美女の顔をしているという。中経出版の「世界宗教用語大事典」にはインド原産の「ブルブル」という雀類の鳥が原形ともされる(当該名の鳥は検索してみたが、よくわからない。識者の御教授を乞うものである)。
「申刻」午後四時頃。
「沉檀」沈香及び白檀香。
「聞え」薫る。
「異香熏ず」極楽往生して来迎がある際にはこの世のものとは思われぬ芳しい香りが遺体の周囲に立ち込めるといわれることを指す。
「翩々」軽やかにひらひらと翻るさま。
「其役々の輩、菩薩の姿に出立ち」九品仏浄真寺の奇体な――正直、私にはある種のグロテスクさを感じさせる――「お面かぶり」を想起させる。実は私はそれ故にこのエピソードが実は何だか虫唾が走るのだということをここに告白しておく。
「紫金臺」「しこんだい」とも読む。金の純度の高いものは光彩に紫色を帯びるという。観音や勢至はこれで出来た台に乗って示現すると「観無量寿経」などに記されてある。
「紫磨黄金」善注のように最上の紫がかった金色。
「山海惠菩薩」山海慧菩薩とも。浄土信仰に於いて極楽往生をする人の臨終の場に浄土から阿彌陀如来とともに迎えに来るとされる二十五菩薩の一人。深い海、高い山の如き智慧と徳によって衆生を導く菩薩とされる。なお、諸宗や諸書によって以下二十五菩薩が携えるところの楽器や持ち物はかなり異なる。以下の二十五菩薩それぞれの解説は東京都台東区竜泉にある天台宗正宝院公式サイト内の「仏様の世界」の「二十五菩薩」を主に参照させて戴いた。
「鞨鼓」羯鼓。中国の異民族である五胡(後漢末から晋の頃に西北方から中国本土に移住して長江北部一帯を占拠した匈奴・羯(けつ)・鮮卑(せんぴ)・氐(てい)・羌(きよう)の五民族)の一つである羯族の用いた鼓で、後の雅楽に用いられた太鼓の一種。台の上に横にして据えた鼓を両手に持ったバチで両面から叩くもの。両杖鼓(りようじょうこ)ともいう。
「此土不二の音」この世に同じものはない不可思議にして神妙な音。
「日藏王菩薩」不詳。以下の本文に記された一般に知られた二十五菩薩の中で明らかに欠けている(既に出ている二十五菩薩の一つとされる観世音菩薩・勢至菩薩及び以下の文中に出る普賢菩薩を除くと)と思われるものは光明王菩薩と宝蔵菩薩で、名前からは前の智慧の光で救うとされる光明王菩薩のことのように見えるものの、笛を持つと本文あるところからは、一般に笛を持って描かれるところの、七宝を保持して願いに応じて蔵を開いてその宝を与えるとする宝蔵菩薩の方が合致する。
「月藏王菩薩」不詳。前注参照。
「瑠璃」七宝のの一つとされるラピス・ラズリ。
「無漏實相」迷いや欲望が全く存在しない世界の真実(まこと)の姿。
「藥王菩薩」二十五菩薩の一つ。薬を以って人々の身心両面の治す菩薩とする。元来は星宿光と称した長者で電光明長者という弟がいたが、星宿光は薬王菩薩に、弟は薬上菩薩(ここに出ないが二十五菩薩の一人とされる)となったとする。彼等は将来、浄眼如来と浄蔵如来にそれぞれがなるとされる。一説に一切衆生喜見菩薩の生まれ変わりともされる。
「眞如平等」釈迦の説いた一切の階級差別を否定した四姓平等及び諸経論に於ける仏法僧の三宝や心・仏・衆生の三法などがその本質に於いて差別区別のないことを説いた絶対の平等にあるとするもの。
「獅子吼菩薩」二十五菩薩の一つ。「獅子吼」は、彼が獅子の吼える如くに、堂々と悟りについて説法をする様子を例えたもの。
「篳篥」雅楽の管楽器。長さ六寸(約十八センチメートル)の竹管に樺の皮を巻いて笛。前面に七つ、後面に二つの孔があって縦にして吹奏する。豊かな音量で哀調を帯びた音色を持つ。奈良初期に中国より伝来した。
「淸淨究竟」清らかな悟りの境地。
「虛空藏菩薩」二十五菩薩の一つ。「虛空」とは広大無辺の智慧と慈悲を象徴するもので、福と智を虚空のように無限に保持しており、衆生の望みに応じてそれらを分け与える菩薩という。胎蔵界曼荼羅虚空蔵院の中尊で形像のヴァリエーションが多彩。一般には五智宝冠をつけて右手に智慧の宝剣、左手に福徳の蓮華と如意宝珠を持つ姿で描かれることが多い。
「方磬」方響(ほうきょう)と同じい。古代中国の打楽器の一つ。音律の異なる方形をした鋼製の板十六枚を二段に木製の架に吊り下げたもので二本の桴(ばち)で打ち鳴らす。本邦には奈良時代に伝来、鎌倉時代まで唐楽で盛んに用いられた。正倉院に九枚の鉄板が残っている。
「常住凝然」常住不変の悟達の境地。
「陀羅尼菩薩」二十五菩薩の一つ。陀羅尼(梵語“dhāranī”(ダラニ)の音写。教えの精髄を凝縮させてあるとされる言葉のこと。教えの真理を記憶させる力・行者を守る力・神通力を付与する力があるとする呪文で訳経においても意訳せずに梵語音写のまま唱えるものの中でも主として長文のもの(短文や単語は「真言」である)を指す。大咒(だいししゅ)。「総持」「能持」などと漢訳する。)の力で仏法を保守し悪法を防ぐ菩薩とされる。総持菩薩とも。
「禪定正智」確かな悟達の正しい智としての功徳。
「徳藏菩薩」二十五菩薩の一つ。衆生の求めに応じて功徳大悲の宝蔵開扉して衆生を救う菩薩とする。
「内證發覺」個々の発心者の心の内に生ずるところの、まことの菩提心の発露。
「三昧王菩薩」二十五菩薩の一つ。心の働きを正しい教えに照らし合わせることの出来る菩薩とする。
「利智」悟達を引き出すところの、勘所を捉えた神妙なまことの鋭き智。
「華嚴王」二十五菩薩の一つ。華の如く美しい悟りの境地で身を荘厳しており、因果の道理を説く菩薩とする。
「定自在王」二十五菩薩の一つ。何物にも捉われぬ自由自在に変現出世する菩薩とされる。
「法自在」二十五菩薩の一つ。仏法の無辺の智を象徴する文殊菩薩の別名とされる。曼殊師利(まんじゅしり)菩薩・妙徳菩薩とも。
「大自在王」二十五菩薩の一つ。何事をもなし得る非凡な能力によって衆生を救う菩薩とする。
「金光藏」二十五菩薩の一つである壊れることのない黄金の徳を持つ金蔵菩薩のことか。
「金剛藏」二十五菩薩の一つ。金剛菩薩とも。堅固で絶対に崩壊(くえ)することのない絶対の智慧を持ち、無尽の功徳を与える菩薩とする。
「白象王」二十五菩薩の一つ。慈悲の広大無辺の大いさを象の大きな体と力に譬えた菩薩とする。
「衆寶王」二十五菩薩の一つ。七珍や王宝などの一切の有り難い仏宝を自由自在に集め得る菩薩とする。
「日照王」二十五菩薩の一つ。智慧の光を以って衆生の明暗を照らし出し、仏道修行の督励へと導くとされる。
「月光王」二十五菩薩の一つ。月光のように清らかで穢れがなく、円満な徳を持って一切の衆生を導くとされる。
「大威德王」二十五菩薩の一つ。広大無辺の威徳によって衆生を救うとされる。
「無邊身薬王」二十五菩薩の一つ。地蔵菩薩と同じとされる。
「影向」「やうがう(ようごう)」は呉音。仏菩薩や神などが仮の姿となって人々の眼前に姿を現わすこと。
「光明遍照」仏の広大無辺大慈大悲の徳があまねく行き渡ること。
「朝水」陽の昇る朝の水面の謂いで、前の「夕陽」の対句として用いた。
「隱々」原義は音の轟くさまであるが、これには別に、幽かではっきりしないさまの謂いがあり、私はこのパフォーマンスの幕引きとしては後者の謂いを採り、下の「漕隱る」に掛けたと読みたい。
「大造」大掛かり。
「異故なく」何らの不都合や齟齬なく無事に。
以下、「吾妻鏡」巻二十七の安貞三(一二二九)年二月二十一日の条を示す。
廿一日庚申。〔彼岸初日〕天霽風靜。於三崎海上。有來迎之儀。走湯山淨蓮房依駿河前司之請。爲結構此儀。兼參儲此所。浮十餘艘之船。其上有件構。莊嚴之粧映夕陽之光。伎樂音如添晩浪之響也。事訖有説法。其後被召御船。嶋々令歷覽給。
〇やぶちゃんの書き下し文
廿一日庚申。〔彼岸の初日。〕
天、霽れ、風、靜かなり。三崎の海上に於いて、來迎の儀有り。走湯山淨蓮房、駿河前司が請ひに依つて、此の儀を結構のせんが爲に、兼ねて此の所に參り儲(まう)け、十餘艘の船を浮ぶ。其の上に件(くだん)の構へ有り。莊嚴(しやうごん)の粧ひ、夕陽(せきやう)の光に映じ、伎樂の音(ね)、晩浪(ばんらう)の響きに添ふがごとくなり。事、訖りて、説法有り。其の後、御船に召され、嶋々を歷覽せしめ給ふ。]