『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 護寶寺舊蹟
●護寶寺舊蹟
荏柄天神社の傍(かたはら)をいふ。廢置(はいち)の年代詳ならす。鎌倉年中行事に據れは。尼寺五山の一にして。毎年正月十六日。成氏の舘(たち)に招請ありて酒茶の饗(きやう)ありしとなり。さては享德已前既に建立ありし事(こと)論なり。廢寺となりしは永祿已後の事なり。
[やぶちゃん注:護法寺とも。鎌倉後期に尼覚菴によって開山されたと白井編「鎌倉事典」の「尼五山」(三山進筆)の項にはある。但し、同「護法寺」の項にはこの記載がなく、開山・沿革等は未詳とする(貫達人筆)。
「鎌倉年中行事」「殿中以下年中行事」「成氏年中行事」とも呼ぶ。一冊。享徳三(一四五四)年奥書。鎌倉御所足利成氏の鎌倉での行事・諸礼式の記録。
「尼五山」総て臨済宗。第一位から大平寺(西御門)・東慶寺・国恩寺(山ノ内東慶寺門前)・護法寺(本寺)・禅明寺(禅妙寺・所在不詳。衣張山近辺か)。東慶寺を除いて廃寺。東慶寺も最早、尼寺ではない。
「永祿」同元年は西暦一五五八年。戦国に入ってからの廃寺ということになる。]
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