偽書「芭蕉臨終記 花屋日記」(Ⅳ) ――芭蕉の末期の病床にシンクロして 320年前の今日――
因みに――
はグレゴリオ暦では
一六九四年十一月二十三日
である。芭蕉五十一歳、芭蕉の永遠の旅立ちはこの五日後のことであった。
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七日 朝より不相應の暖氣なり。曇りて雨なし。藥方逆逸湯に加減。入麪を好みたまふ。園女より見舞として、菓子等贈きたる。次郎兵衞取計て之道に贈る。鬼貫來る。去來應對して還す。園女・可中・渭川來る。去來・支考會釋す。終日藥をめさず。終日曇る。夜になりて晴る。夜に入て人音もしづかになりければ、灯のもとに人々伽してゐたりければ、乙州・正秀等去來に申けるは、今度師もし泉下の客とならせたまはゞ、此後の風雅いかになり行侍らん。去來默して居たりしが、我も其事心にかゝりしゆゑ、二日の消息屆し故、かくいそぎ參りたり。人々もさおもひたまふや。さあらば今夜閑靜なり。只今の體におはしまさば、御快復おぼつかなし。滅後の俳話をとひたてまつらんとて、靜に枕上に伺ひよりて、機嫌をはからひ問申けり。翁、次郎兵衞にたすけおこされ、息つきたまひてのたまはく、俳語の變化きはまりなし。しかれども眞・行・草の三ツをはなれず。其三ツよりして、千變萬化す。我いまだその轡をめぐらさず。汝等此以後とても、地をはなるゝ事なかれ。地とは、心は杜子美の老をおもひ、さびは西上人の道心をしたひ、調は業平が高儀をうつし、いつまでも、我等世にありとおもひ、ゆめゆめ他に化せらるゝ事なかれ。言たき事あれども、息□□口かなはずと、喘ぎたまひければ、呑舟御口を潤す。又藥をまゐらせてしづまりたまふ。各筆をとりてこれを書く。(惟然記)
[やぶちゃん字注:国会図書館版は判読不能字を「□□□口」(最後は四角ではなく「口」なので注意されたい)と三字分とする。]
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