橋本多佳子句集「海彦」 赤目溪
赤目溪
木菟明眸をりをり月に瞼伏せ
月光を羽毛にふくめ木菟ねむし
月の嶺(みね)音なき滝を天(あま)垂らし
長路来て泉さそへば足浸ける
泉に足行く手の長路(ながぢ)頭(づ)に白らけ
泉に入れ胸腹熱き碧蜥蜴
手をついて深淵の静(せい)滝わすれ
朴落葉ひき入れつよき底流れ
月の瀬々また滝なして溪展(ひら)く
[やぶちゃん注:「赤目溪」三重県名張市赤目町を流れる滝川の渓谷にある一連の滝を持った赤目四十八滝渓谷のこと。参照したウィキの「赤目四十八滝」によれば、古えより『山岳信仰の聖地であり、地元には「滝参り」という呼び方が今も残』り、『奈良時代には修験道の開祖である役行者(役小角)の修行場ともなった』。『地名「赤目」の由来は、役行者が修行中に赤い目の牛』『に乗った不動明王に出会ったとの言い伝えにあるとされる。
また、役行者および修験道と関連するが、忍者の修行場であったとも伝えられている』。『滝のある渓谷はおよそ』四キロメートルに『わたって続き、峠を挟んで香落渓(こおちだに)へとつながっている。
渓谷は四季折々に楽しめるハイキングコースとなっており、紅葉の名所としても知られていて、秋には関西・中京方面などから多くの観光客で賑わいを見せる』。『渓谷とその周辺地域は野生動物と植生の宝庫である。特に渓谷は』『オサンショウウオの棲息地として知られ』る。赤目四十八滝の内でも比較的大きな五つの滝を赤目五瀑(不動滝・千手滝・布曳(ぬのびき)滝・荷担(にない)滝・琵琶滝)と称する、とある。年譜の昭和三〇(一九五五)年の条に、『八月二十九日、俳句が出来ないので、津田清子に案内され、赤目の滝に吟行。滝本屋に一泊。宿の窓にみみずくが止る。幼鳥のときに拾われ、飼われて育ち、成鳥となり山に還されたもの。しかし、腹が空くと、餌をもらいに滝本屋にもどってくる』とある。滝本屋は赤目町赤目四十八滝に現存。公式サイトはこちら。]
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