芥川龍之介 或阿呆の一生 三十 雨
三十 雨
彼は大きいベツドの上に彼女といろいろの話をしてゐた。寢室の窓の外は雨ふりだつた。濱木棉(はまゆふ)の花はこの雨の中にいつか腐つて行くらしかつた。彼女の顏は不相變月の光の中にゐるやうだつた。が、彼女と話してゐることは彼には退屈でないこともなかつた。彼は腹這ひになつたまま、靜かに一本の卷煙草に火をつけ、彼女と一しよに日を暮らすのも七年になつてゐることを思ひ出した。
「おれはこの女を愛してゐるだらうか?」
彼は彼自身にかう質問した。この答は彼自身を見守りつけた彼自身にも意外だつた。
「おれは未だに愛してゐる。」
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(芥川龍之介「或阿呆の一生」)
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(芥川龍之介「或阿呆の一生」)
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