ヨハネ受難曲序曲
「ヨハネ受難曲」はとても難しい。特にその序章でどう「あの」世界に導くかと言う点で「マタイ受難曲」の物語性など吹き飛ぶからである。ここではイエスは十字架に架けられている――それを共時的に伝えるからこそ、難しい。それをこの演奏はかなり、よく伝えていると私は思う。有象無象の妙な始まりの「鈍重さ」からこの演奏は確かに救われているからである――大事なのは架刑される「イエスの叫びを覆い尽くす」合唱の恐るべき断腸の声と懇請――それを認知しない者にこの曲を演奏する資格はないと私は思う――
大事なことは――エリエリサバクタニ――という「叫び」では、ない――ということである。ヨハネ受難曲の血肉はそのイエスの死を実感する無名の大衆の叫びという「聖肉」の声であるということである――