――芭蕉枕邊―― 花にあかぬ嘆やこちのうたぶくろ
花の本にて發句望まれ侍りて
花にあかぬ嘆やこちのうたぶくろ
(はなにあかぬなげきやこちのうたぶくろ)
――寛文七(一六六七)年――芭蕉二十三歳――
……少し「あかぬ」の巧みの、これ、智に曲がり過ぎて響きまする……
[やぶちゃん注:「伊勢物語」十段の、「花にあかぬ歎きはいつもせしかどもけふの今宵に似るときはなし」をインスパイアし、原義の「花に飽かぬ」(芭蕉は「今宵も明かぬ」をも意識しているか)を表に利かせながら、背後に転じて「花に開かぬ」、無才にしてこの美しき花の下にても、望まれながら一向に私の歌袋の口は「開かぬ」、よき発句の一つも出来申さぬ、という亭主への挨拶吟となっている。しかも「こち」には自称の人称代名詞「此方」に「東風」が掛けてある。なお、「続山井」(ぞくやまのい・湖春編・寛文七(一六六七)年刊)には(前書はそこにあるものを採った)、
花に明ぬなげきや我が哥袋
の句形で載る。岩波文庫中村俊定校注「芭蕉俳句集」によれば、そこでは作者名として「いが上野松尾 宗房」とあり、掲げた句の載る「如意宝珠」(にょいほうしゅ・安静編・延宝二(一六七四)年刊)には「伊賀住 宗房」と記すと注する。]