明恵上人夢記 45
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一、同八日の夜、夢に云はく、成辨或る處に行くに、小兒、尋常(よのつね)なる、五六人許りありて、以ての外に之を敬重す。地へ下るれば着物を取りてはかせなんどすと云々。又、此處より見遣れば、海路を見渡すに、面白さ極り無しと云々。
[やぶちゃん注:この夢はやや奇異な箇所ある。それは「或る處」というロケーションの設定である。そこはどうも尋常な場所ではないということが細部の表現を見ると見えてくるのである。「小兒、尋常なる、五六人許りありて」の箇所、「尋常なる小兒、五六人許り」としなかったのは、そこが「尋常なる」場所でなかったことを意味しているということである。そこが不思議な「或る處」であったにも拘わらず、普通に現実世界にいるような庶民の子どもらがそこに五、六人いた、という謂いであると私は採る。そしてそこは次のシーンで「地へ下(お)」りるような場所、則ち、何処か非常に高い所なのである。しかもそこを「山」とか「塔」とか「高楼」と称していないという点にも着目したい。さらに「此處より見遣れば、海路を見渡すに、面白さ極り無し」と述べている箇所でも「此處」の具体な描写がないのである。ということは、そこは一種の高天原のような雲上の世界(但し、「地」面は存在する)なのであり、しかもシークエンスの最初は明恵も子どもらも、実は「地」に足を着いていない、その雲上世界のその上方の空間に浮遊しているという風に解釈するのが、最も自然にこの一連の記述を説明し得ると私は思うのである(但し、途中に「云々」があるから、最初の夢では一回、現世の地上に下ってとも解釈は出来る。しかしだとすれば、私は夢記述を「成辨或る處に行くに、此處より見遣れば、海路を見渡すに、面白さ極り無しと云々。此處には又、小兒、尋常なる、五六人許りありて、以ての外に之を敬重す。地へ下るれば着物を取りてはかせなんどすと云々」の順で記すように感ずるのである)。訳はそのようにした。大方の御批判を俟つものである。
「同八日」建永元(一二〇六)年十二月八日。栂尾に参って住するようになった十一月二十七日から数えて十一日後。前の「44」夢は「同十二月中旬」とあるところを見ると、明恵は夢記述を時系列通りには記していない(少なくとも現存するこの「夢記」の部分では)ことが分かり、また彼は夢を極めて明確に記憶しており、かなり後になってから纏めて記述する方式を(少なくともここでは)採っていた可能性が窺われる。ともかくも前の「44」夢は時系列を違えても、是非記しておきたかった彼にとっての特異点の夢であったということが、これによっても明らかとなるのである。]
■やぶちゃん現代語訳
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一、同十二月八日の夜、見た夢。
「私はある不思議な世界へと行く。私はそこで浮遊している。ところが、その空間には、およそ世間尋常の裸の童子らが、これ、五、六人ほど私と同じように浮遊しては遊んでいるのである。何故かは分からないのであるが、私は殊の外、この童子らを敬い丁重に扱っている。例えば彼らが、すうっと、その空中からその空間下の方にある地面へと降りて行った際には、私も一緒に舞い降りて行っては、そこにあった着物を執って童子らに着せて世話を焼いているのである。……
また、ここより下界を見下ろしてみると、遙か遠くに水平線の見える海路を見晴らすことが出来、その面白さと言ったら、これ、極まりないといった美観なのである。……」
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