偽書「芭蕉臨終記 花屋日記」(Ⅹ) ――芭蕉の末期の病床にシンクロして――
芥川龍之介が「枯野抄」で芭蕉の老僕としている「治郎兵衛」は、原典では実は『壽貞子次郎兵衞』とはっきり記されていることに注目されたい。この一事を以てしても、私は龍之介はやはり本作が偽作だと分かっていた(だからこそ彼を老僕にしても全く事実に反さないとも言えよう)ように思うのである。
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十七日 乙州亭。
一 眞愚上人 金一兩
一 御齋米料 同一兩
一 御供養料 同一兩
一 御茶湯料 同百匹
一 御弟子觀門子 同百匹
一 三井寺常住院御弟子二人 同二百匹
家來衆三人 銀三兩
御遺物
一 出山佛一體 御長一寸一分
一 鐡如意一本 〔佛頂禪師より附與。長サ押延て凡一尺九寸位。頭蔦葉形り、金箔。木曾寺にあり。丈草に附與。〕【今長崎にありといふ。】
一 觀音經
一 紙縷袈裟 〔佛頂禪師より附與〕
[やぶちゃん字注:底本では同ポイントであるが、国会図書館版で確認、前の「鐡如意」の記述からも割注と判断した。後の「木硯」も同じ。]
一 被風
一 銅鉢
一 木硯 〔樫木にて旅硯也〕
一 古今集序註 一部
一 百人一首 一部
一 新式 一部
一 奧之細道 一部
一 御笠 一蓋
一 菅蓑 一被
一 御杖 一本
〔右紙縷袈裟より以下七品は、兼て惟然に御附與之御約諾のよしに候故、直に惟然に附與。〕【惟然に附與ありしものは、今 播磨增井山の麓 風羅堂に納る。】
一 御頭陀 一
[やぶちゃん字注:以下の割注は底本では全体が二字下げ。]
〔中に杜子美詩集・山家集・外に後猿蓑と題ありて、歌仙三卷、發句四五吟程。外は御書捨の反故等入。別に紙に包たる布裂、五寸に六寸許。上包に狹ノ細布と有。進上淸風と。又外に和歌の古短尺二枚、松島蚶潟ノ繪二枚。〕【此狹ノ細布、蚶潟の畫は今 文曉が祕藏す。】
[やぶちゃん字注:以下の本文は底本では全体が三字下げ。]
右の中、紙に包たる五寸に六寸の布裂幷松島蚶潟之畫、若御支無御座候はゞ、御形見下拙に被仰付可被下供樣奉希候。生涯寶物に仕度候。
去來
十八日 於義仲寺追善之俳諧百韵滿尾す。鳥羽の文臺・松風の硯寫の木硯。連衆四十三人。【此百韵枯尾花集にあり。】
[やぶちゃん字注:以下、本文は途中の(そこで指示する)「此外、諸國之弔儀數百ヶ所、繁雜故に除之。」の一行だけが行頭からで、ほかは底本では全体が三字下げで最後まで至っている。]
態壹人差立候。益御平安可被成御座奉恭賀候。皆共無異罷在候。御安意可被下候。然者、尊師於大坂御大病之處、支考・惟然より申進候得共、御返答無御座。遠路故紙面遲著と察候。兎角仕候中、拙者共も罷下り、加御保養候へ共、御養生不被爲相叶、去十二日終に御遷化被遊候。旅中之儀に御座候故、其夜早速近江木曾寺に尊骸を奉遷、十四日迄御報奉待候へ共、御返答不承候間、諸國門人中一等評義に而、則十四日之夜、於木曾寺埋葬仕候。委曲は追々土芳・卓袋歸國之上に而御承知可被下候。
一 別封之一書老師翁御遷化之日、御認被遊候御遺書に而御座候。上書迄に而御封緘者其時より無之候條、左樣被思召御落手可被下候。
一 御遺物之品々者、諸國連衆於義仲寺集會之上、書記之通無相違候條、今度御來臨も御座候はゞ、御見屆之上任御取計申筈に候得共、御左右無御座候故、不得止取計置目錄入御覽申候。御親類方にも乍憚此旨被仰達可被下候。土芳・卓袋歸國口述之上、御返事被成可被下候。一七日御追善供養相仕廻申候故、諸士高引取申候筈に候條、願は御返書承り申度候。書餘兩雅子に御聞可被下供。以上。
十月十九日 去來
其角
松尾半左衞門殿
別啓。昨日之俳諧百韵入貴覽候。
一 御遺物目錄之外に左之通相殘居候品、御綿入〔一著〕御袷〔同前〕御肌付〔同前〕御帶〔二筋〕、右は花屋仁左衞門より一昨日次助兵衞方に贈參候。外に古御衣裳之類數多在之候は、大坂出立取急候故、不殘花屋に預置申候。
一 御飛脚只今參著被致候。尊翰拜見仕候。御返事仕候筈に候得共、用相認□申候故、貴答不仕候。
[やぶちゃん字注:判読不能字は国会図書館版では二字。]
一 壽貞子次郎兵衞、御國出立之砌より御供仕居候。御病中始終御葬埋之節迄、拔群之骨折被仕候。逐一兩雅より口述に可及候。御病中間之始末、御病體、惟然・支考・次郎兵衞、
拙者迄筆記入貴覺候。已上。
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