耳嚢 巻之九 武女勇壯の事
武女勇壯の事
日野氏知れる武家の妻の由、年久しく召仕(めしつか)ふ老女ありしが、子もなく知音(ちいん)もなければ目をかけて仕ひけるが、積る年の風(ふう)のこゝちにてはかなくなりけるを、痛ましく思ひて、七日七日の追善など菩提所へも遣し靈供などそなへて弔(とむらひ)を遣しける。日柄(ひがら)たちて、右奧方小用たしに便所へ夜更けてまかりしに、用事濟(すみ)て厠の戸をひらきしに、忽然とたゝずむ者ありし故あやしみて見しに、彼(かの)老女なりけるゆゑ、何故に汝はそこにありやと尋ねければ、御恨ありて爰にある由申けるゆゑ、何も恨みあるべき謂れなしと尋ければ、四十九日の法事をなし給はざるこそ御うらみなれと申(まうし)ければ、奧方怒りて云く、汝は一族もなく、久敷(ひさしく)召仕(めしつか)ふたる故に、これまで親族の如く弔ひもなしけるは、主人の慈悲なり、四十九日の法事一度除(のぞ)きたるとて何の恨(うらみ)かあるべき、老女存在の時かゝる不辨(ふわきま)へなる者にしもあらず、察する處、汝は狐狸の類ひなるべし、物の道理を知らざる畜生不埒なる事なりと申ければ、其理(り)其勇にや屈しけん、行方なく消え失せしとかや。かゝる事、夫にも不咄(はなさず)、はるか過(すぎ)て彼老女の事に付、物語の序(ついで)、右の趣咄しけると也。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。私は妖狐譚と読む。
・「日野氏」順列と話柄からみて、四つ前の「人魂の起發を見し物語りの事」に出る高家旗本日野資施(すけもち)と考えてよい。
・「風」中風の意でとっておく。
・「七日七日の追善」は七日目ごとの法要。中有(ちゅう)満尾の四十九日のそれではない。ここではその四十九日目の正式な法事は省いたのである。
■やぶちゃん現代語訳
武家の女房の勇壮なる事
日野資施(すけもち)殿の知れる武家の妻の話なる由。
その武家、年久しゅう召し仕(つこ)うて御座った老女のあったが、この者、子もなく、また、縁者知音(ちいん)もない、所謂、天涯孤独の身の上で御座ったによって、特に目をかけて雇うて御座ったれど、寄る年波、中風(ちゅうぶう)のようなる病態となって、じきに亡くなってしもうたと申す。
あまりに傷ましゅう思うて、七日目毎の追善供養などにつき、日野氏の菩提所の方(かた)へも人を遣わし、丁重に霊前へ供え物などさせ、下女の身分ながらも破格に手厚う、弔いの儀を頼んでは、その度その度、遣いをやって営んで御座ったと申す。
さて、それより暫く経ったある日のこと。
かの武家の奧方、夜更けて小用をたしに便所へとまかり、用の済みて、厠(かわや)の戸を開けたところが、その目の前に、忽然と、誰やらん、佇んおる者のある気配が致いた。
されば、怪しみてよぅ見てみたところが、何と、かの亡くなったる老女で御座ったによって、
「――なにゆえに、そなたはそこにおりゃる!」
と糺いたところ、
「……御恨み……これ……あって……ここに……おりまする……」
と申したによって、すかさず、
「――何も、恨みの、これ、あるべき謂われはない! 何を以って恨みと申すかッ!」
とさらにきつく糾いたところ、
「……し、四十九日の法事を……して下さらなんだこと……これこそ……御(おん)恨みなれ……」
と申したところが、奧方、烈火の如く怒って宣はく、
「――汝は一族ものう、久しゅう召し仕(つこ)うてやったがゆえに、これまであたかも親族の如くに弔いの儀、致いて参った。これは、これ、妾(わらわ)が主人の御慈悲にてあったものを! 四十九日の法事、これ、ただ一度省いたとて、これ、何の恨みのあるべきかッ!……老女存命の折りは、およそかかる弁えのない者にては、これ、御座らなんだわ!――さては……察するところ、汝は……狐狸の類ひに違いあるまいッ! 物の道理を弁えざる畜生なればこその、謂い! 不埒な物の怪がッ!!」
と激しく罵り喚(おめ)いた。すると――
――その理・その勇(ゆう)に屈したものか――
ふっと――
いづこともなく、その姿は消え失せて御座ったとか。
また、かくも奇体なる変事のあったことを、これ、少しも夫に話すことものぅ、その後(のち)何年も経ってからのこと、かの老女の思い出話など致いて御座ったその物語りのついでに、
「……そういえば……このようなことの御座いました。……」
と、初めて、また、平然と、夫君にその出来事を披露致いたとのことで御座った。
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