イリューシャの羊の怪
イリューシャが語る。羊の怪異。
「あのな、こんなことがあつたんだ。フェーヂャ、きつとお前(めえ)、知んめえけんど、おら方のあすこにはな、土左衞門が埋まつてんだ。昔々、池がまだ深かつたころに土左衞門になつちやつたんだ。墓場はまだ見(め)えら。少し見(め)えら。こんなにな、土饅頭がな……。それでな、先日(せんころ)、お邸(やしき)の番頭が、獵犬番(いぬばん)のエルミールを呼んで、『エルミール、駅遞(えきてい)へ行って來う』って言つたんだ。おら方のエルミールはしよつちゆう駅遞さ行くのが役目だつたんだ。自分の預かつてゐた獵犬(いぬ)をみんな死なつしやつたんで。何でだか知んねけんど、エルミールの手にかかると犬が生きてかねんだ。本當にいつも生きてたこたあねえんだ。いい獵犬番(いぬばん)でな、非のうちどころのねえ人間だけんど。それでな、エルミールは郵便とりに馬に乘つてつて、町でぐづぐづして、歸りにはもう醉つぱらつてた。その晩は明るい晩で、お月樣も照つてゐた。……かうしてエルミールは土堤のところにさしかかつた。通り道だから仕方がね。そこを獵犬番(いぬばん)のエルミールが馬に乘つて通ると、土左衞門の墓のうへに、小羊が、眞つ白い、縮れつ毛の可愛らしい小羊が行つたり來たりしてゐる。それで、エルミールは『よし、一つあいつを捕まへてやらう、――なんで逃すもんか』と思つて、馬から下りて、兩手で抱き上げたんだ。……それでも羊は平氣の平左なんだ。エルミールが馬のそばまで來ると、馬は鼻を鳴らしながら飛びのいて、しきりに首を振るんだ。それでも、その人は『どうどう』と馬にいつて、羊を抱いたまんま馬に乘つて、また進んで行つた。羊を胸のところへ抱へて。エルミールが羊を見ると、羊もじいつとエルミールの顏を見るんだ。こんなにな。それで、獵犬番(いぬばん)のエルミールも氣味が惡くなつて來た。『羊がこんなに人の顏を見つめるなんて、まだ聞いたことのないことだ』と思つたが、別に變つたこともない。こんな風に羊の毛を撫でて、『羊(めえ)、羊(めえ)!』つていつたんだ。さうすると、直ぐに羊も齒をむき出して、『羊(めえ)、羊(めえ)!』つていふんだつて……」(「猟人日記」「ビェージンの草原」中山省三郎訳より一部の読みを追加)