ロシアの河童ワジャノイに引かれたと噂される狂女アクリーナの真相
イリューシャの怪談にコスチャが真相を語る。ロシアの河童ワジャノイとそれに引かれて狂ったとされるアクリーナの物語である。
……パーウェルは立ち上つて、空になつた鍋を手にとつた。
「どこへ行くんだ?」とフェーヂャが訊く。
「川さ水汲みによ。水飮みたくなつたから」
二匹の犬も立ち上つて、そのあとをついて行く。
「氣をつけて、川ん中さ落つこちんなよ」イリューシャが後から聲をかける。
「なんで落つこちるもんか?」フェーヂャがいふ、「あれは氣をつけてるもの」
「うん、そりやさうだがな。でも、いろんなことがあるからな。それ、屈んで水汲むだらう。さうすると、河童(ワヂャノイ)が手をつかまへて、水ん中へ引つ張り込むかも知れないよ。さうすつと、後でみんなが、あの子は水へ落つこちたつて、さういふだらう、……けども、落つこちたんぢやないよ!……ほうら、葦ん中へ這ひ上つた」彼は耳を傾けながら言ひ足した。
なるほど葦が押し分けられて、私たちの方で俗にいふ『さやさや』といふ音を立てる。
「ほんとかな、あれは」とコスチャが訊ねる、「あの馬鹿のアクリーナが水ん中に落つこちてから、氣が違つたつていふのは?」
「さうよ、あの時からだよ……今ぢやあんなざまになつて! それでも元は好い女だつけつて。河童(かつぱ)に祟(たた)られたんだよ。きつと、河童は、みんながあんなに早くアクリーナを引き出すなんて思はなかつたんだよ。それであの、水の底で崇つたんだな」
(私もこのアクリーナには一再ならず會つてゐる。襤褸をまとひ、恐ろしく瘦せ細つて、炭やうに眞黑な顏をし、濁つた眼つきをして、いつも齒をむき出し、ともすると道の眞ん中に、骨と皮ばかりの兩手をしっかりと胸にあてて、檻の中の野獸のやうに、そろそろとよろめきながら、何時間も一つところで足踏みしてゐる。何をいつても通じないで、ただ時をり引き吊つたやうに高笑ひをするばかりである)
「みんなの話だと」とコスチャが續ける、「川へ身投げしたのは、色男に欺されたからだつて」
「ほんとだ」(「猟人日記」「ビェージンの草原」中山省三郎訳より。但し、一部、脱字と思われる箇所に手を加えてある)
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