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2014/11/03

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 印刷所にて Ⅰ

M513

図―513

 

 図513は日本の新聞の一部で、日本のアルファベットの使用法を示している。読者は縦に並んだ漢字の活字の横に、簡単な字が添うているのに気づくであろう。活字箱は我国の印刷屋のそれとは違い、長さ二フィート、高さ八インチで、縦の仕切でわけてある。それぞれの箱に仕切が六十六あり、仕切の間の場所の幅は即ち活字の幅である。活字はこの仕切に、字面を上に向けて入れてあるから、植字工は一見して彼の欲する活字を知る。ここで漢字の説明をする必要があるが、この問題を了解するには支那語研究家に問い合せねばならぬ。だが、漢字は構成的で、即ちそれには、それをある程度に分類する所の語根字がある、ということはいえる。かくて金銭に関係のある、例えば買うとか売るとか借とか貸とか値切るとかいう字には、金銭の語根字が入っており、感情に関係のある、例えば激情とか憎みとかいう字には、心の語根字があるといった具合で、漢字はその語根字によって、これ等の仕切に入れられる。植字工が左手に「ステッキ」と原稿とを持ち、右手で所要の字をひろいながら、部屋の隅から隅まで走り廻っている所は、中々奇妙である。我国の印刷所で、職工がすべての字と、若干の数字と、句読点とを入れた活字箱を前に、立ったままでその場を離れないのとは、大違いである。ここでは八人の日本植字工が、適当な活字を求めて、部屋の中を前後に走りっこをしている。彼等は濃い紺の服装をしているので、部屋の外見は人をして、黒い蟻が絶間なくお互同志とすれちがっている、蟻塚を思わせた。図514は植字室で、活字箱の配列を示しているが、人間はこの図に出ている者よりも、遠かに多数いた。図515は活字を組みつつある植字工である。解版工(図516)は机に向って坐り、鑷子(ピンセット)を用いて同種類の活字を拾い出し、それ等を沢山ある箱の中の一つの、適当な場所へ返す。

M514

図―514

M515

図―515

M516

図―516

 

[やぶちゃん注:図513は所謂、社会面の通俗記事でかなり煽情的なゴシップ+猟奇的な記事である。煩を厭わず活字化してみる(こんなことまでやりたくなってしまうのが私の悪い癖)。行を合わせて読みも含めて示した。

 

〇下谷龍泉寺村(したやりうぜんじむら)田中金之助(たなかきんのすけ)の女房(によぼう)お兼(かね)妹(いもと)お勘(かん)(二十三)ハ

一寸(ちよつと)愛(あい)くるしく見(み)えるので去年(きよねん)の八月頃(ごろ)から新宿(しんじゆく)町の貸

座敷(かしざしき)の亭主(ていしゆ)永田(ながだ)辰(たつ)次郎のお摩(さす)り雇(やとひ)をして居(ゐ)たのが暇(いとま)にな

つて後(のち)ハ牛込若宮(うしごめわかみや)町の町中(たなか)兼次郎方(かた)へ止宿(とまり)に行(いつ)て居(ゐ)ると

不斗(ふと)氣(き)が狂(ちが)つた物(もの)と見(み)え先(せん)月廿七日の夜(よ)の十一時頃(じごろ)出刃

庖丁(でばばうちやう)で咽喉(のど)を突(つい)たから此家(このうち)でも駭(おどろ)いて直(すぐ)に療治(れうぢ)ハしたけ

れど藥(くすり)を呑(のん)でも水(みづ)を呑(のん)でも疵口(きずぐち)からダラダラ流(なが)れ出(で)るや

 

「お摩り」は隠語で女中を兼ねた妾(めかけ)のこと。お撫(なで)ともいう。「町中」は前の「町」に惹かれた衍字で「田中」のまさに植字工の誤りであろう。「不斗」不図。「ダラダラ」の後半は画像では踊り字「〱」。なお、恐らくは何処かのデータを調べれば、これが何時どの新聞に載ったものかはっきりと分かるとは思われるが、流石にそこはまた別のフリークの方にお任せしたいと存ずる。

「長さ二フィート、高さ八インチ」横六〇・九六、縦二〇・三二センチメートル。

「支那語」底本では直下に石川氏による『〔漢字〕』という割注が入る。

「語根字」原文は“a radical which classifies”。分類が成された語根。

「ステッキ」原文“stick”。底本では直下に石川氏による『〔植字架〕』という割注が入る。この「植字架」というのは、恐らく通常の印刷物の一行分の活字を組むための縦長の固定用フレーム(当時はやはり木製であろう)のことを指しているように思われる(和英辞典では“a composing frame”とある)。欧文用のそれであるが、印刷会社「嘉瑞工房」公式サイトの「活版印刷の行程」の中に、組版ステッキ(Composing stick)の写真が出る。そのキャプションには『左手で組版ステッキを持ち必要な組巾に固定し、インテルや込物を入れながら右手で活字を拾いステッキ上に並べ』『活字が傾かないように活字を並べるたびに親指で押さえ』るとある(「インテル」とは“interline”[「行間に差し挟む」の意。]の略で活版で行間を適当な広さにあけるために挿入する金属製又は木製の薄板を指し、「込物」はそうした空白を作るために組み込むものの総称。他にクワタ――“quad”[quadrangle:「四角形」の意。]のこと。行末のアキや空白の行を埋めるのに用い、和文では全角より大きいものを、欧文では全角の半分より大きいものを指す――やスペースなどを含む)。

「鑷子(ピンセット)」原文は“a pair of forceps picks”で“pincettes”ではない(“pincettes”は元来は英語ではなくフランス語由来)。]

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