偽書「芭蕉臨終記 花屋日記」(Ⅻ) 全 完結 ――芭蕉の末期の病床にシンクロして――
頃日土芳・卓袋歸郷之砌申遣候筈之處、取紛失念仕候故、今日壹人差立申候。先以、長々之御所勞、未御快無御座段、乍憚隨分御自愛專一に奉存候。此間兩雅丈より被成御聞候通、亡師一七日、於御靈前御追善之百韵、首尾能興行に相成、何れも滿足仕候。然者其席に御傳來之鳥羽之文臺立申候【鳥羽文臺 今長崎にありといふ。】。右此文臺之事者、御聞及も候半、季吟老人より亡師に御讓之、風雅傳來之雅物に御座候。根元玄旨法印より紹巴に御傳被成、貞德・貞室・季吟・亡師と傳り候。如斯之重器に候得者、亡師一代尋常之俳席には御用も無御座、深川之重器と承り候迄に候。然るに先年猿簑集撰成就仕、吟聲之砌、深川より御取寄に相成、其儘に義仲寺に被召置候。亡師も御門人之中に御傳可被成御心にも可有御座候共、亡師者一體此俳詣之事、左樣成俗事に御貪著被成候御氣象にては無御座、全體隱逸禪中風雲之行狀に候得者、傳ん不傳之處にては無御座候。併此後者其場にては濟不申、今度此儘に打捨置候得者、一道者立不申、永芭蕉門埋れ候歟共存候。幸ひ此節其角參り居られ候故、於江戸、其角・嵐雪と申ては、亡師左右之御手と被思召、無二之御愛弟に而御座候。夫故、御靈前に而右文臺讓之事、申開候得者、其角頻に辭退に而、一昨日罷歸申候。許六者病身、木節者老衰、美濃・尾張者遠方に而手屆不申。外に者若輩之者許。夫故先右文臺を義仲寺眞愚上人に預置、一二年も過候はゞ若年之者共、追々出精之上、拔群之者も出來可申、上人に申問候得者、路傍之廢寺、風・火災、又は賊難之恐、貧地獨居故、不任心底と申候斷に而御座候。只今に而老可預置所も無御座候。道心之御人體に候得者、兎角可申入筋も無之、此上者右之雅物に候之條、少比貴方に御預り置可被下候。來春に成候はゞ、拙者參以御熟談も可仕候。則右之品此者に持せ遣候。諸事御賢察可被下候。恐惶哉齊言。
十月廿七日 向井去來
松尾半左衞門樣
貴翰捧讀。先以、此間者前後之御取計、重疊御勞煩被成下忝奉存候。然者、鳥羽之文臺之事被仰聞趣、逐一承知仕候。如貴命、右文臺之事者、日外亡弟よりも承り、至而大切成雅器に御座候由、右之器物引讓之事、御心配之段、御尤千萬之事に奉存候。然るに其角能時節に參り合被居、辭退之義、手前も不承知に存候。芭蕉門人に其角・嵐雪と申事者、日本に俳諧好候者、誰不存者は無之候。然者門人中に何人か違背之御人も可有之共覺不申。右に付而者拙者より御賴も可申候得共、歸郷に成候と申事に候得者、不能其義候。且又眞愚上人御返答之義者御尤之事に奉存候。將又拙者方に暫く御預可被成旨、併我等事者肉身之事候得共、俗士之事に候へ者、風流中之品物、暫も預り候境界に無之候。何分にも是は雅器之事に候得者、貴雅方に手前より御預申度候。仰之通、明春にも成候はば、拙者罷越拜面之上、兎も角も可仕、是非々々讓方無御座節は、季吟未御存生之事に候得者、元之通返上納可仕。とても先夫迄者、貴雅之方に御預り置可被下候。偏に奉賴候。左候はゞ、芭蕉魂魄も可爲滿足候。卓袋・土芳より始末は承申候。恐惶謹言。
十月廿九日 松尾半左衞門
命淸判
向井去來樣
鳥羽文臺 一脚黑塗
長壹尺九寸 幅壹尺二寸 高四寸 板厚三分 筆反壹尺壹寸
[やぶちゃん字注:以上の二行は底本と国会図書館版とをカップリングして読み易く配したものである。]
右老師嗣相承之印、季吟翁より先師に御相承被成候重器に候。今度拙者に御預可被成旨に付、慥に預置申候。後證如件。
元祿七年甲戌十一月四日 向井去來
松尾半左衞門殿
但三ヶ所疵 〔二ケ所者小指先程、一ケ所者小キ摺、四方之角損ジ有。〕
翁反故下畢
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