偽書「芭蕉臨終記 花屋日記」(Ⅴ) ――芭蕉の末期の病床にシンクロして 320年前の明日――
八日 天氣快晴。御不全なり。京の□士來る。信德より消息もて、御病體を問ふ。同近江の角上より使來る。人々勝手の間にて、今度の御所勞平復を祈り奉らんとて、住吉大明神に連中より人を立べしと、去來申おくられければ、各しかるべしと、之道・次郎兵衞は鬮當にて、社務林采女方に祝詞をたのみ、厚く神納の品々おくらる。
各詠
奉 納
落つきやから手水して神あつめ 木節
初雪にやがて手ひかむ佐太の宮 正秀
峠こそ鴨のさなりや諸きほひ 丈草
起さるゝ聲もうれしき湯婆哉 支考
水仙や使につれて床はなれ 呑舟
居あげていさみつきけり鷹のかほ 伽香
あしがろに竹のはやしやみそさゞい 惟然
神のるすたのみぢからや松の風 之道
日にまして見ます顏なり霜の菊 乙州
こがらしの客みなほすや鶴の聲 去來
大勢の集會なりければ、よろこび興じて師を慰め申けり。木節、去來に申けるは、今朝御脈を伺見申に、次第に氣力も衰給ふと見えて、脈體わろし。最初に食滯より起りし泄瀉なれども、根元脾腎の虛にて、大虛の痢疾なり。故に逆逸湯主方なり。猶又加減して心を盡すといへども、藥力とゞかず。願はくは、治法を他國にもとめんとおもふ。去來、師にまうす。師曰、木節が申條尤なれども、いかなる仙方ありて虎口龍鱗を醫すとも、天業いかんかせん。我かく悟道し侍れば、我呼吸の通はん間は、いつまでも木節が神方を服せむ。他に求むる心なしとのたまひける。風流・道德人みな間然することなし。
支考・乙州等、去來に何かさゝやきければ、去來心得て、病床の機嫌をはからひて申て云、古來より鴻名の宗師、多く大期に辭世有。さばかりの名匠の、辭世はなかりしやと世にいふものもあるべし。あはれ一句を殘したまはゞ、諸門人の望足ぬべし。師の言、きのふの擧句はけふの辭世、今日の擧句はあすの辭世、我生渡云捨し句々、一句として辭世ならざるはなし。若我辭世はいかにと問人あらば、此年頃いひ捨おきし句、いづれなりとも辭世なりと申たまはれかし。諸法從來常示寂滅相、これは是釋尊の辭世にして、一代の佛教、此二句より外はなし。古池や蛙とび込水の音、此句に我一風を興せしより、初て辭世なり。其後百千の句を吐に、此意ならざるはなし。こゝをもつて、句々辭世ならざるはなしと申侍る也と。次郎兵衞が傍より口を潤すにしたがひ、息のかぎり語りたまふ。此語實に玄々微妙、翁の凡人ならざるをしるべし。(支考記)
[やぶちゃん字注:国会図書館版では「□士」の判読不能字は二文字。惟然坊の句「あしがろに竹のはやしやみそさゞい」の下五は「鷦鷯」と漢字表記。]
夜に入て嵯峨の野明・爲有より柿を贈り來る。消息そふ。今日まで伊賀より音信なし。去來・乙州申談じ、態と飛脚を差たつべきよし師に申ければ、師の言、我隱遁の身として虛弱なる身の、數百里の飛杖おもひ立、親族よりとゞめけれど、心儘にせしは我過なり。今大病と申おくりなば、一類中のさわぎ、殊に主公の聞しめしも恐あり。たとひ今度大切におよぶとも、沙汰あるまじとのたまひけり。師の慮の深きこと各感心す。度數六十度におよぶ。(惟然記)
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