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2014/11/17

飯田蛇笏 山響集 昭和十三(一九三八)年 冬

〈昭和十三年・冬〉

 

花温室二時日輪は虧けはじめけり

 

今日もはく娑婆苦の足袋の白かりき

 

すゝり泣く艶容足袋を白うしぬ

 

寒うして賣僧のしたる懷ろ手

 

冬かすみして誕生の窓の燭

 

萬年靑の實蝸盧の年浪流れけり

 

[やぶちゃん注:「蝸盧」は「かろ」で蝸牛の殻に喩えて小さい家、狭く粗末な住居、転じて自分の家のことを遜っていう語。]

 

こゝろもち寒卵とておもかりき

 

寒卵嚥(くんの)み世故を囁けり

 

  遊龜公園

 

一蓮寺水べの神樂小夜更けぬ

 

[やぶちゃん注:「遊龜公園」既注。]

 

煖爐燃え蘇鐡の靑き卓に倦む

 

寒ゆるむ螺階は蠱(まじ)の光り盈つ

 

[やぶちゃん注:「蠱」は原義は呪(まじな)いによって相手を呪うことやその術をいうが、ここは、そこから転じた、人を惑わすもの、魔性の気配をいう。]

 

  末弟結婚式後、S―園に晩餐を共にす

 

着粧ふ座邊(ざべ)の電氣爐あつすぎぬ

 

うす靄の日に温室(むろ)の娘は働けり

 

  身延山

 

冬山に數珠賣る尼が栖(すみか)かな

 

  二子塚所見

 

斃馬剝ぐ大火煙らず焚かれけり

 

[やぶちゃん注:馬が登場するところからは、長野県飯田市竜丘にある塚原二子塚古墳か? 五世紀後半頃、この地方が馬の生産を通じて中央の政権と深く関わり、国内屈指の馬生産を誇っていたと考えられており、古墳の発掘品の中には馬具がある旨、加茂鹿道&姫河童氏のサイト「信州考古学探検隊」の「塚原二子塚古墳」の飯田市教育委員会による現地案内板解説にある。]

 

冬耕の婦がくづほれて抱く兒かな

 

嶺々そびえ瀨音しづみて冬田打

 

新墾(にひばり)野照る日あまねく冬耕す

 

月いでて冬耕の火をかすかにす

 

放牧の冬木に胡弓ひく童あり

 

  久しく病牀にありし白石實三、十二月二日

  午後二時五十分遂に永劫不歸の客となる

 

臘月の大智おほよそ寒むかりき

 

[やぶちゃん注:「白石實三」(明治一九(一八八六)年~昭和一二(一九三七)年)は小説家。群馬県生まれ。早稲田大卒。田山花袋に師事。当初は自然主義的な作品を発表したが、後に武蔵野の地誌・歴史に関心を持ち、「武蔵野巡礼」「大東京遊覧地誌」などを執筆した。著作に「姉妹」「滝夜叉姫」など。蛇笏とは早稲田吟社時代からの旧知であった。享年五十二。蛇笏より一つ年下であった。]

 

うそぶきて思春の乙女毛絲編む

 

雲間出る編隊機あはれ寒日和

 

凍花めづ暖房の牕機影ゆく

 

[やぶちゃん注:「牕」は「まど」。窓。]

 

白晝の湯を出て寒の臙脂甘し

 

[やぶちゃん注:「臙脂」は「べに」と読んでいるものと思われる。湯上りの女の口の紅であろうか。]

 

曳きいでし貧馬の鬣(かみ)に雪かかる

 

冬鵙のゆるやかに尾をふれるのみ

 

馬柵の霜火山湖蒼くなりにけり

 

鷗とび磯の茶漁婦に咲きいでぬ

 

  K―院境内に存する嵐外の書

  「山路きて何やらゆかしすみれ草、はせを」

  の句碑いと碑蒸したり

 

茶の木咲きいしぶみ古ぶ寒露かな

 

[やぶちゃん注:「嵐外」江戸後期の俳人辻嵐外(明和八(一七七一)年~弘化二(一八四五)年)と思われる。敦賀に生まれ、通称は政輔、別号に六庵・南無庵・北亭・梛の屋等。久村暁台・高桑闌更らに師事した。超俗的洒落の人で、後に藤田可都里に師事して甲府に住し、「甲斐の山八先生」と称されて敬愛された。現在の南アルプス市落合にある成妙寺に墓がある。「K―院」とあるが、笛吹市境川町藤垈(さかいがわちょうふじぬた)に万亀山向昌院(こうしょういん)という寺があり、ここに嵐外書になる「山路來て何やらゆかしすみれ草」の碑があることがサイト「ムーミンパパの旅日記」のページで判明した。もここに間違いない。リンク先によれば天保一四(一八四三)年建立とある。]

 

寒の雞とさかゆらりともの思ふ

 

金剛纂(やつで)咲き女醫に冷たき心あり

 

[やぶちゃん注:私好みの句である。]

 

苺熟る葉の焦げがちに冬かすみ

 

波奏(かな)で神護(まも)りもす冬いちご

 

いちご熟れ瑠璃空日々に深き冬

 

あるときは雨蕭々と冬いちご

 

冬いちご摘み黄牛(あめうし)を曳く娘かな

 

めざしゆく大刑務所の雪晴れぬ

 

電気爐の翳惱ましくうつろへり

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