篠原鳳作 芭蕉小論 (Ⅳ) ――芭蕉の末期の病床にシンクロして―― 了
三、結語
新興俳句運動は生活から遊離して花鳥風月に遊んでゐた俳句をして、社會生活の現實面へひきもどして來た。
是は芭蕉の所謂句と身とを一枚にする事である。
然し其だけでは足らない。句と身と一枚にするのみならず共に「叫び」を與へなけれはいけない。背後の世界への希求を與へなければいけない。
芭蕉に於てはこの希望はさびとしをりとであつた。其は換言するならば自然の生命の消極的把握であつた。
新興俳句はいかなる「叫び」を「希求」を持つべきか。
其は身を持つて求めてゐるものでさへあれば何でもよからう。唯私はヴアイタリテイの世界へ叫ぶのみである。以上をもつてとりとめもない芭蕉論の結語としたい。
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