――芭蕉枕邊―― 杜若似たりや似たり水の影
杜若似たりや似たり水の影
(かきつばたにたりやにたりみづのかげ)
――寛文七(一六六七)年――芭蕉二十三歳――
……この杜若の葉影におられるのは……あなたの好きな――少年――で御座いましょう?…………
[やぶちゃん注:謡曲「杜若」――旅僧が三河の八橋に至ると女が現われ、「伊勢物語」の「唐衣」の折句を語って一夜の宿を貸す。女は被冠の唐衣姿で現われて、その衣の高子(たかいこ)ものであること、冠は業平のものと告げ、自身は杜若の精と明かし、業平は歌舞の菩薩の化現なれば、かのお方の和歌の功徳によって非情の草木までも仏果の縁を授かって悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)が約束されたとし、「伊勢物語」の恋の絵巻を夢幻に舞って夜明けとともに姿を消す――の中のラスト・シーン、
……昔(むかし)男の名を留(と)めて 花橘の 匂ひうつる 菖蒲(あやめ)の鬘(かづら)の 色はいづれ 似たりや似たり 杜若 花菖蒲 梢(こずゑ)に鳴くは 蟬の唐衣の 袖白妙の卯の花の雪の 夜(よ)も白々(しらしら)と 明くる東雲(しののめ)の 淺紫の 杜若の 花も悟りの 心開(ひら)けて すはや今こそ 草木國(さうもくこくど)土 すはや今こそ 草木國土 悉皆成佛の御法(みのり)を得てこそ 失せにけれ
のシテの台詞を裁ち入れた。私の謂いは、山本健吉氏の「芭蕉全句」(講談社学術文庫版)での評釈の、謡曲「杜若」の『原文は杜若と花あやめとを似ていると言ったのだが、これは杜若とその水に映る影とを似ていると言う。もちろん同じように美しく、眼移りがするのである。「いづれかあやめ、杜若」と世俗に言う通り、裏に美人を立たせていると取りたいが、「昔男」と五月の縁から言えば、むしろ若衆姿を立たせているのであろう』という評言を強く支持することに基づく。]
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