――芭蕉枕邊―― 夕㒵に見とるゝや身もうかりひよん
夕㒵に見とるゝや身もうかりひよん
(ゆふがほにみとるるやみもうかりひよん)
――寛文七(一六六七)年――芭蕉二十三歳――
……私も……そんな風に夕顔の花に……その花蔭に住まう女性(にょしょう)に……見とれてしもうたこと……これ、御座いました…………
[やぶちゃん注:「うかりひよん」(うかりひょん)は副詞で、物事に気をとられてしまって恍惚とする、うっかりとするさまをいう語。新潮日本古典集成の今栄蔵校注の「芭蕉句集」には、『夕顔が秋に結実させる瓢簞(ひょうたん)あ水に浮きやすいので「浮かれ」に、また「瓢」を「ひよん」に通うわせた。縁語と掛詞』とあり、山本健吉氏の「芭蕉全句」では『夕顔の巻も連想され、たおやかな美人の夕化粧した顔のイメージがあろう』と記される(今氏も同じことを注している)。但し、この句、「続山井」(湖春編・寛文七(一六六七)年刊)に『いが上野松尾 宗房』(中村俊定校注「芭蕉俳句集」に拠る)で出るのであるが、山本氏も前掲書で指摘されているように、実はこれに先立つ八年も前の万治元(一六五九)年の「鉋屑集」(かんなくずしゅう・胤及編・万治二年刊)に、「俊之」という別人の句として、
夕顔の花にこゝろやうかれひよん
という酷似した作品が既にある。尚且つ、まずいことに、中村俊定校注「芭蕉俳句集」にも注で示されてある通り、「詞林金玉集」(宗臣編・延宝七(一六七九)年序)には、散逸してしまったと思われる不詳の俳書「耳無草」からの引用として、
夕顔の花に心やうかりひよん
という、俊之という人物の句と全く相同の句形で、しかも作者を『桃靑 伊州上野松尾宗房』として掲載されてしまっているのである。現在、多くの書が「夕㒵に見とるゝや身もうかりひよん」という本句を芭蕉の真作として認定して載せており(今・中村・山本三氏とも)、山本氏などは前掲書の評でわざわざ、俊之の先行作品があると『知っていたら、もちろん発表しなかっただろう』と記しておられる。芭蕉にしてみれば、この句がまさか、現代の芭蕉俳句集に厳然と鎮座し、しかもこのような事実まで暴露されていようとは夢にも思わぬに違いあるまい。]