今日の芭蕉シンクロニティ 月澄むや狐こはがる兒の供
本日二〇一四年十一月 十五日(本年の陰暦では閏九月二十三日)
元禄七年 九月二十八日
はグレゴリオ暦では
一六九四年十一月 十五日
である。芭蕉五十一歳、芭蕉の永遠の旅立ちはこの十三日後のことであった。
【その一】この日、芭蕉は畦止(けいし:長谷川敬之。洒堂の大坂での門弟であった。)亭で句会に臨んだ。これが結局、芭蕉最後の俳莚となった。
畦止亭におゐて即興
月下送兒(げつか、ちごをくる)
月澄(すむ)や狐こはがる兒(ちご)の供(とも)
[やぶちゃん注:「其便」(そのたより・泥脚編・元禄七年序)に載る。「芭蕉翁追善之日記」(支考著・元禄七年稿)には、「廿八日、畦止亭にうつり行、その夜ハ秋の名殘をおしむとて七種(ななくさ)の戀を結題(むすびだい)にして、おのおの發句しける。其一 月下ニ送ㇾ兒」として掲げられてある。山本健吉氏の「芭蕉全句」によれば、この俳席には『芭蕉・畦止の他に、洒堂・支考・惟然・泥足・之道の計七名である。例えば洒堂は「寄鹿憶婿」の題で、支考は「寄薄恋老女」の題で作り、その他もそれぞれ恋の題目を立てて発句を作っている。芭蕉の題の「児」とは小人であり、生涯の最後の時にあたって、芭蕉が結題として男色の恋を選んでいることが面白い』と評しておられるが、私はこの句に若衆道を超えた不思議な「恋」を感ずるのである。
私はこの「七種の戀」という俳莚の題を提案したのは芭蕉ではなかったかと考えている。
芭蕉はこれを以って――自身の生涯の「恋」を――自身が童子に戻ることによって――追体験したのだと確信するのである。
……この供をしているのは無論、若衆を愛する芭蕉ではある……
……が……
……しかも……
……その「大人の芭蕉」に手を引かれて夜道――黄泉路――を行くのも……
これ……同時に実は……
――少年である芭蕉自身――
なのではあるまいか…………]
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